人間が無意識に歩く姿には、本人が思っている以上に多くの情報が含まれている。
猫背でトボトボ歩いてる人は内向的、背筋がピンと伸びてスタスタ歩く人は外向的。この程度のことはパッと見ですぐわかるんだけど、さらに注意深く観察すれば、より細かな性格分析、生活習慣、具合の悪い箇所も言い当てられると思う。(わたしはそこまで出来ないけど笑)
これは座る姿勢も同じで、電車の中で座ってる人を見れば一目瞭然。みんな自分の性格に沿った座りかたをしている。気配りの出来る人は、ザ・気配人な座りかたをしてるし、人のことなんかお構いなしの身勝手な人間は、やっぱりそういう座りかたをしてる。人間の一挙手一投足、すべての所作に、見事に性格が顕れている。
そういう性格だからそういう動きをするのか、そういう動きばかりしてるからそういう性格になるのか、どっちが先かはわからないけど、とにかく、人間の内面と、外面に顕れる所作は、確実に連動してる。
ということは、
歩き方、立ち方、座り方、その他の所作を含めたすべての動きを意識的に変えることで、性格も変わるってこと!笑
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わたしは生活音がほとんどしない家庭で育った。グラスやお皿をテーブルに置くときも、母はいつも音を立てないようにそっと置いてたし、姉もたぶんそうだった。生活の中で大きな音を出すことがほとんどない、静かな家だった。(喋り声もみんな小さかった笑)
なので、特にそうしなさいと教えられた記憶もないのだけど、気づけばわたしも、物を置くときは音を立てないようにそっと置くようになってた。
あと、子供の頃から中国、香港、台湾のカンフー映画が大好きだったから、武術の達人が蓋付き湯飲みでお茶を飲むときの(茶飲みのシーンはカンフー映画で本当によく出てくる笑)美しく静かな動きは憧れの対象でもあったから、自然に「それいいね!」と真似してたのかもしれない。
こうして、自分自身が静かに物を置く、バタバタ音を立てて動かないを意識してると、なんだか猿を卒業して、至極まともな人間になった気がしてくる。莫迦みたいな話だけど、これホント。
言葉遣いもそうなんだけど、普段の自分の莫迦っぽい喋り方をやめてちゃんと喋ると、何となく真っ当な人間になった気がしてくる。人品というのは、割りかし簡単に演出できるものなんだなと。
ただし、言葉遣いや所作だけ綺麗にしても、内面に邪気を溜め込んでると、丁寧な言葉の節々に嫌味や当て擦りを含んだ「表面的には上品だけどなんか嫌な奴」になっちゃうので、普段の思考もかなり重要である笑
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ここ数年で言うと、YouTuberの「開封の儀」が下品の極みだった。なぜ有名になった人というのは、ああも下品に開封して、箱やゴミをポーン!と後ろや横に投げ捨てるんだろう。あの心理、本当に理解できない笑
下品というのはわたしの主観なので、あれを面白いパフォーマンスとして見てる人も居るとは思う(実際そういう編集がなされてる)。
察するに、細かいことに拘らないサバサバした性格アピール、もしくは「粗野と男らしさを履き違えてる」人にありがちな、野朗感アピールなのだろう。
どっちも無意識でアピールすることにより、実際は真逆の性格であることが露見してしまうのだけど笑
兎にも角にも、
②劣等感が下品な所作を生み出す!へ続くw