40代になって、まだこんなにも見たことない人種がいるんだと驚くことがある。
一方は両親を早くに亡くし、紆余曲折あって劣等感の塊になってしまった人。彼はビジネスで成功し、タワマンに住み、高級車に乗り、年収何千万になる予定らしい。
自分がしあわせになるためじゃなく、人から「すごいね!」「立派だね!」「成功者だね!」と言われる為だけに、なりふり構わずやっている。
そして、彼と同じような劣等感をもつ人達にハイエナの嗅覚で近づいて、なんだかんだと口車に乗せて搾取しまくる奴もいる。彼らは騙されてることにさえ気づけないまま、骨までしゃぶられる勢いでハイエナ達に金を吸いあげられる。多額の借金もある。コミュニーケーション能力に問題があり、まともな会話もできない。いいように利用され、搾取され、詐欺師たちの養分になっている。
それでも彼、彼らは、自分の中にある強烈な劣等感と戦いながら、今日も必死で生きている。いつか人から「あなたはすごい人だ!成功者だ!」と言われる日を夢みて。
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もう一方は、生まれながらに裕福な家庭で育った人。
人生におけるほとんどの心配事がお金で解決できる時代。そんな時代に金持ちの子として生まれた彼らには、一般的な悩みはほとんどないように見える。実際、性格も穏やかでおおらかな人が多いような印象もある。
しかし、すべての金持ちがそうとは限らない。
中には選民意識が強すぎて半分狂ったように他人を見下す品性下劣な金持ちも存在する。
彼らにとって、学歴、社会的地位、肩書、年収は、他者に対する最高のアドバンテージであり、それらを得てしまったがゆえ、同じステージにない人間を簡単に見下してしまうようになる。教育の問題?
否、そういう星のもとに生まれたんだろう。
弱者に対する優越感は人一倍だが、ひとたび人外レベルの金持ちを目の当たりにすれば、彼らも彼らなりの劣等感を得るに違いない。だから、弱者相手に優越感に浸るのが一番コスパがよくて楽なんだろう。
彼らもまた、必死で生きている。
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わたしはどうだろう。
本来なら強烈な劣等感をもって生きなければならないはずなのに、なぜかしらのん気に暮らしている。メンタルはほとんどの場合安定してるし、イラッとくることがあっても、そっこうで忘れてしまう。
わたしが背負った人生のカルマはたぶん、
「努力できない」
だと思う。
努力できないということは、全力でなにかを成し遂げられないことに直結する。努力したことがないから、達成感を感じたこともない。何もかもが中途半端。中途半端だから傷つくことも少ないと言われれば、確かにそうだなと思ってしまう。
わたしは自分の性格を40近くまでずっと「真面目」だと思ってた。けど、今になってよくわかる。わたしは相当てきとうな人間だし、真面目とは対極にある人間性だと。だから悩むこともなく、お気楽にしゃーしゃーと生きてられるんだろうな。
しかしま、それもいいとさえ思ってしまう。
そして、心の片隅で少しだけ願う。
少しは必死でなにかを努力したいな、と。
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わたしたち地球人類の中で最強の平等システムは、死ぬことだと思う。現代のテクノロジーでは延命が関の山。人は必ず死ぬ。そして、死ぬときは、この世で得たすべての物を手放さなければならない。
地位も、名誉も、肩書も、金も、何一つとしてあの世にはもっていけない。それを心に明記すれば、それらすべてを取り払ったときに顕れる本当の自分が見えてくる。
ひとりの人ととしてどうあるべきか。
人生は、つきつめればただそれだけのことにすぎないのかしれない。
すべての選択は、完璧なまでに正しい。
おあとがよろしいようでw