あれはいつの話だろう。
父親がいたから、たぶんどんなにいってても小学校1年生くらいのとき。
両親に交互に歯医者に連れて行ってもらってたんだけど、なぜか父も母も歯医者の帰りに必ずクレープを買ってくれた。甘いものを食べて虫歯になり、それで歯医者に行ってるというのに、帰りに甘いクレープを買ってくれる。今考えるとちょっとどうなのかなって感じだけど、そのクレープがまた抜群に美味かった。三十数年の時を経てもこうして思い出せるんだから、あの美味さと買ってもらえた嬉しさは、よほどインパクトがあったんだと思う。
数少ない父親との思い出に、自転車の練習がある。今思い返しても不思議。小学校に上がる前だった。
最初は子供用自転車の後輪に2つの補助輪をつけて三輪車状態で乗り、そのあと片方の補助輪を外す。この状態だとフラフラするから、父親が自転車の荷台部分を手でつかんで、まっすぐこげるように後ろで補助してくれてた。
「おっしゃ、そのままいけ!」
父親が言う。
わたしは補助輪一個と父親の支えでなんとかまっすぐ自転車をこげてたんだけど、
「おー、乗れたやないか」
という父親の声が急に遠く聞こえたから驚いて振り返ったら、父親は全然自転車を支えてなくて、しかも、補助輪も両方なくなってた。
わたしはいつの間にか一人で自転車をこいでいた。
え!?さっきまでフラフラしてたのに、なんで乗れるの!?みたいな。不思議なことに、その瞬間バランス感覚を完全につかみ、普通に乗れるようになった。あれ、なんだったんだろう。記憶が抜け落ちてるだけで、相当数練習したんだろうか。自分の中では急に乗れるようになったって印象しかないんだよね。
そんな両親も、今はもう二人ともいない。
両親がどんなふうに出会って、どんな夫婦だったか、わたしは知らない。ましてや、両親の子供時代、青春時代、どんなことを考えながら生きて、わたしのことをどう思ってたのかさえ、もう知るすべもない。
それは、母の視点からしても同じだと思う。
わたしのことを知っているようで知らないし、もちろん他の人は絶対に知ることができない部分を知ってたりもする。
不思議だよね。
親子なのに、お互いのことをほとんど知らないまま何十年も一緒に生きて、最後はバラバラになるんだもの。
知らないというと聞こえが悪いかもしれないので、一応書いておく。
ウチの家族はとても仲が良かった。それに、母は幼少期のわたしにこれでもかというほど愛情をそそいでくれた。だからこそ、大人になったわたしは、人の愛情に飢えずにすんでるんだと本気で思っている。
それに、母はわたしの人格を否定するようなことをただの一度も言ったことがない。わたしは母を傷つける言葉を散々吐いてきたのに、母の言葉に傷つけられた記憶は正真正銘、ひとつもないと言い切れる。人の悪口もほとんど言わない人だった。心の底からすごいと思う。辛抱強く、さんざん甘えることを許してくれた。
実は母が亡くなってから遺品整理をしてるとき、母が親友のおばさんとやり取りしてた手紙が何通もでてきた。その中には、わたしがまだ母のお腹の中にいたときに書かれたものもあった。
そこには、この子が生まれて成長したら、こういう人になってもらいたいと具体的に書かれていた。
書かれた内容とはほど遠い成長をしていくわたしを、母はどう思ってたんだろう。過去に戻りたいなんて一度も思ったことがないわたしも、この時ばかりは昔に戻ってイチから母の望んだ通りの人間になりたいと思った。
輪廻転生を精神的な拠り所にするなんて、さすがいい加減な自分らしいと思うけど、この人生で得た取り返しのつかない数々の後悔をしっかりと魂に刻み、つぎの人生では必ず立派に生きて欲しいと願う。
来世の銀次よ、頼んだぞ。
注意!遺書ではありません🥺
おあとがよろしいようで笑