ときどき子供時代に見ていたオカルト番組をyoutubeで検索することがある。矢追さんのUFO番組や、地縛霊満載の心霊番組。
あの頃は何もかも信じてたよね。
テレビが嘘つくなんて思ってもないし、なんかの話題で発言の真偽を問われても「テレビで言ってた」って平気で答えてた。それくらいテレビを信じ切ってたし、わたしだけじゃなく、多くの人がそうだったと思う。大人も子供も、みんなテレビに洗脳されてた。いまだにテレビを信じてる人もいるだろうけど、感覚的に、人類の半数くらいは世の中インチキだらけだって気づいたんじゃないだろうか。
すべてはネットのおかげ。
ネットが普及してから、世界中でさまざまな嘘が暴かれてきた。ネットこそが、もっとも信頼できる情報源だと信じてた。それなのに、今となってはテレビどころか、ネットを含めたすべてのメディアが信用できない。お金の為にデタラメな情報を流すメディアは動機が明確な分まだマシで、わたしが最高に不気味だなと感じるのは、
憎悪を原動力にした一般人の嘘。
他人の幸福を呪い、呪詛化したTweetや投稿。あたかも真実に見せかけて人の感情を煽り、思考誘導する文章。それ無意識でやってるなら相当センスあるよ、悪い意味で。と、何度思ったことか(だいたいが悪意を含んだ故意だと思うけど笑)。
精巧な思考誘導の文章は、一読しただけではおかしさに気づけない。パット見正論のように感じたりすることもある。どんなに注意してても、自分の中の虚をつかれると警戒フィルターを難なく突破され、まんまと術中にハマる。
ここで言う虚とは、自分の中で抑圧してる感情。
たとえば、コロナ禍で厳しい自粛を自身に課してる人がいたとする。その人がある日、自粛期間中にも関わらず、楽しげに旅行したり、飲み会を開いてる人のTweetを見てしまう。その後、感染者数は増大し、イベント会場ではクラスターが発生。などというニュースを見たとき、感染に怯えて誰よりも自粛してきた人はどんな気持ちになりますか。
たとえば、特定の思想を不特定多数に刷り込むために、嘘の出来事をTweetする。根拠ゼロの真偽不明。そんなTweetでも、虚をつかれると信じてしまう人がいる。
たとえば、承認欲求、虚栄心を満たすための嘘。
たとえば、一見正論にみせかけた反論による誘導。
思考誘導を含んだTweetがRTされてタイムラインに流れてきたとき、その大半は対象者の抑圧された怒りや不安、悲しみを利用しているのがわかる。どんなに落ち着いた口調で、どんなに理路整然とした文章でも、その根底に思考誘導しようとする意図が透けて見える。文章だけじゃない。写真も動画そう。見る側がどう感じ、どう受け取るかまで計算されている。
(文章の抜けあり)
では、どうすれば思考誘導されず、自分の思いを伝えられるのか。わたしが思うに、RTするのではなく、同じ内容でも自分の言葉で語ることが一点。そして、思考誘導、思想の刷り込みを受けない為に注意するのは、不確かな情報のみで書かれたTweetをスルーする。そして、たとえ詳細が書かれた文章であっても、公平性の無い書き方がされていたら注意する。くらいだろうか。言いながらわたしもしょっちゅう騙されているのだけど……笑
細かい話は、ずーっと前に書いたポテサラの話でも遡って読んで頂けたらと思う。あ、昼休憩ですのでこれにて失礼しま笑
https://ginji9000.hateblo.jp/entry/2020/10/01/154805
おあとがよろしいようでw