銀次のブログ

日々の何気ない思考を書き連ねる

残り寿命1時間思考法!

今朝、通勤電車が鬼のように混んでいたので、二駅目で降りて次の電車を待ったんですが、次の電車も畜生レベルに激混みプンプン丸で、東京の馬鹿野郎満員電車にはほとほと呆れ権左衛門でございました🖕笑

否、スシ詰めの電車の中で、わたしの前に立つ女性の髪がサラサラ艶々の美ロングストレートだったんだけど、この美しいヘアーが前リュックの胸元に組んだわたしの両手に当り、非常に不快だった。美しさと不快感の融合。

「満員電車に乗るときは髪の毛全部前に持ってくか縛れよ」と内心突っ込みながら、頭の片隅では「こんな綺麗なストレートヘアーがわたしの手に圧迫されて変な癖でもついたら大変じゃないか」と心配している。その時、今日のタイトルでもある

「残り寿命1時間思考法」

が、天啓のように降りてきた。以前も似た内容のブログは書いたんだけど、改めてこう考える。

もし1時間後に必ず死ぬことがわかったら、目の前で起きている出来事と未来予測に思い悩むほどの価値はあるのか。

満員電車の不快感、女性の美しい髪、その髪を自分が乱してしまうかもしれない心配及び、仕事、人間関係、当たり前の日常、その先にある何の約束もされない未来。

すべてが命を前にした途端無価値になる。

1時間後に死んでしまうのに、満員電車の不快感なんかどうでもいい。女の髪が綺麗だろうが乱れようが、知ったこっちゃない。仕事で成果を出す、ミスをする。褒められようが貶されようが1時間後には死ぬ。欲しい物を手に入れるために頑張っても、認めてもらうために必死になっても、残り寿命、1時間。今日の天気、明日の天気、日本と世界、これから地球で起こるありとあらゆる事象が、もう何の価値もない。

では、この先何十年も生きられるとしたら、これらに価値はあるんだろうか。否、あると思い込んでるだけで、やっぱり価値なんてない。強力な洗脳によって、命にも代えがたい価値がそれらにはあると思い込まされてるだけだ。

ここまで考えたのち、改めて低空飛行の俯瞰状態に入ると、この満員電車に同乗する人達、職場の人達、私生活の人間関係、不確かな未来予測。あらゆるこの世の出来事、生命が、まるで同志のように思えてきた。人類みな兄弟とはよく言ったもんだ。どこの誰だか知れない美しい髪の女、背後から前リュックを押し付けてくる男、クソ満員電車で勉強したりスマフォゲーしてる奴ら、みんな慈しむべき仲間なのだ。

1時間後にわたしが死んだあと、彼らはこの地球という星の上で、様々な洗脳と恐怖、不安と闘いながら生きていく。わたしはひと足お先にイチヌケしちゃうけど、同志諸君よ、どうか闘いに破れることなく、力強く人生をまっとうしてください。

ザーメン🙏

 

おあとがよろしいようでw