牛豚を食べなくなって1年以上経つ。厳密に言うと自分で肉を買わないだけで、外食と友人の手料理、エキスなんかはOKにしてるから、まったく食べないわけじゃないし、ときどき誤って牛肉コロッケとか買っちゃったりしてるんだけど、ナンダカンダで牛豚断食継続中。
それに、過去にはお菓子、カップラーメン、ジュース断食を2週間敢行したこともあった。こっちは肉と違って我慢するのが大変な分、劇的な効果があった。まずは味覚が研ぎ澄まされる。食材の味がより鮮明にわかったり、体調も良くなるし肌も綺麗になる。これだけの健康効果がありながら継続できなのは、わたしを含め、多くの人が幼い頃から毒漬けにされてきた重症の中毒患者だから、と言いたいとこだけど、単に自分の意志が弱いだけですかね🥹笑
そんな前置きは置いといて、今日のテーマである「自分へのご褒美」について書いていきたい。
つい先日、職場の先輩に「銀次さんは自分へのご褒美になにか買ったり食べたりします?」って訊かれたんです。で、わたしは正直に「自分へのご褒美という概念自体持ったことないので、一切ないです」と答えた。先輩が「こいつまた妙な返答しやがる」といった顔で笑うので、わたしは本来なら必要のない自己弁護をする羽目になった笑
「本当に欲しいものは普段から我慢せず買ってますし、美味しい物って言っても、そもそも食べ物自体に興味がないんですよね。それに、普段食べてるものが全部自分の食べたい好きなものばかりだから、それ以上の褒美を望んでない感じです。たとえば夜ご飯にカケうどんとか、他人の目には質素に映る食事でも、自分は大満足で食べてるので……😅」
先輩は納得したんだかしてないんだかわからない微妙な半笑いで「やっぱ銀次さん変わってますねw」と言って話を〆た。しかし、この質問って、たぶん先輩自身が自分へのご褒美について語りたかったんじゃないかと思い、わたしの方も訊いてみた。先輩は自分へのご褒美になにかしてるんですか?と。そしたら、
「毎月給料日になると嫁と一緒に美味しいもの食べに行こうって話になりますね〜。1ヶ月頑張って働いたご褒美に」とキタ。聞いた瞬間、
「労働と消費の奴隷地獄スパイラルキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」
と心の中で叫んだ。
自分へのご褒美という文言、否、その概念自体、完璧な呪詛!笑
だって、毎日あくせく働いて、疲れ果てて、やっとこさ得た金で美味しいものを食べる。もしくは、欲しかった物を買う。そうやって手に入れた美味しいものは口から入った数時間後にはウンコになるし、欲しかったものはやがてただのガラクタと化す。そんな物のために、わたし達は毎日嫌な思いしたり、我慢を強いられて働くのですかと。否、欲しかった物を手に入れた一瞬は脳内麻薬的なホルンが分泌されてハッピーかもしれない。しかし、そのハピネスを継続的に得るためには働き続け、消費しつづけなければならない。言うなれば「消費中毒」。これが地獄じゃなくてなんだというんでしょう笑
そして、最も恐ろしいのが、大多数の人類が「人生とはそういうものだ」と刷り込まれ、なんの疑いもなくひたすら小銭を求めて働き続ける。強欲な人間は人から搾取し、騙し、殺してでも金を手に入れようとする。そこまでして手に入れた大金でさえ、世界の富の99%を手中に収めるキチガイ大富豪からしたら、小銭に群がり歓喜する憐れな猿にしか見えないだろう。
わたし達の人生は、こんなことの為に消費されていいのだろうか。死ぬまで守銭奴と売国企業の手のひらで踊らされる運命なのか。ご褒美の為に頑張って働いて、美味しいものを食べて病気になって、医療費でも消費活動を促されるなんて、ウルトラ級の地獄ではないですか笑
自分へのご褒美って、それ、本当にご褒美ですか?
ご褒美だと思い込んでるだけじゃないですか?
おあとがよろしいようで(雑な終わりかた笑)