銀次のブログ

日々の何気ない思考を書き連ねる

鳥山明と猿みたいな人生

小学生の頃のわたしは、毎週発売される週間少年ジャンプでドラゴンボールを読むのが人生最大の楽しみだった。都会のほうじゃ1日早く読めたらしく、あの当時、どんなにそれを羨んだことか。あれほどワクワクした漫画はなかったし、絵を描くのが好きだったわたしは、鳥山明の絵をしょっちゅう模写してた。

数年間、毎週買ってもらってたジャンプを、もう買わなくていいと母に告げたのは、ドラゴンボールの連載が終わるのと同時だった。ほどなくして、山のように溜め込んだジャンプを一気に処分し、漫画そのものをほとんど読まなくなった。

大人になってから、もう一度ドラゴンボールを読みたくなって漫画喫茶に行ったことがあった。不思議なことに、あれほど続きを待ち焦がれた物語になんの魅力も感じず、絵も手抜きに感じた。えっ、ドラゴンボールってこんな雑な絵だったっけ?と、違和感。結局、何巻かさらっと流し読みして、それ以上の興味も持てず、ほかの漫画を読んで店を出た。

ドラクエで例えるなら、ドラクエ3、4、5のパッケージには夢のような浪漫を感じたけど、ドラクエ6のパッケージには魅力を感じられず、以降、7は「は?」って感じだったし、8に至っては、あまりに酷くてひっくり返りそうになった。一応買うし、プレイはするけど、なんじゃこれはと。

続く9、10(未プレイ)、11も、どれもまったく魅力を感じず、鳥山明が変わってしまったのか、自分の感性が変わったのか定かじゃないけど、鳥山明の才能を語るとき、大半の人が95年辺りまでの絵を引き合いに出すところを見るにつけ、やっぱりこう思ってしまう。

莫大な富と引き換えに絵を描く力を失ったんじゃないかと。


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鳥山さんが亡くなってから、彼が漫画家として大成するまでのエピソードを語った動画がYouTubeにいっぱい流れてきた。子供の頃からあらゆる物の絵を描き続け、イラストレーターになりたくてデザイン会社に入社するも、朝起きられなくて遅刻しまくり、減給され、新人の女子社員と同じ給料まで下げられたのに驚いてその会社を2年で辞めたらしい。

他にも、スーパーのチラシのデザインばかりやらされて、仕事内容が理想と違ったのも辞めた原因だったみたい。のちにそれも、漫画家として物の形を知るうえで良い経験になったと語っていたけど。

そんなこんなで、生活費に困った鳥山さんは、ジャンプで新人賞を獲れば50万円もらえると知り、さほど興味のなかった漫画を描くことにした。

天才的な才能を持った青年が、お金のために絵を描きはじめた瞬間ですねえ。

下積み時代はあるにせよ、Dr.スランプ発表後は、ほとんどの人がご存知の通り、とんでもない快進撃であっと言う間に長者番付1位になった。その当時、鳥山さんが徹子の部屋に出演した映像がYouTubeにあったので見てみると、ちょっと変わった雰囲気の人という印象しかなく、うだるほどの富と名声を得ても、驕った様子はまったくない。むしろ、ニコニコして人懐っこい感じがして、好印象。

ただ、わたしが唯一気になったのは、鳥山さんがアラレちゃんの眼鏡を描くのを「めんどくさい」と言ったこと。この一言にすべてが表れてると思った。

もともとイラストレーターになりたくて、絵を描くのが大好きだった鳥山さんは、眼鏡をかけた少女としてアラレちゃんを生み出した。なのに、描くのがめんどくさいと言う。

会社員時代、締め切りに間に合わないとどれだけの人に迷惑がかかるか身を持って体験したため、漫画家になっても締め切りだけは必死で守った鳥山さん。常に締め切りに追われ、同じ顔を何度も描き、ネタ切れの不安もある。そんな中で描いてると、眼鏡なんかめんどくさくなって当然。そうしてドラゴンボールの後期の絵も徐々に手抜きになったんだろうと、至極納得した。

絵を描くのが大好きだった才能ある青年が、お金のために漫画を描き、金儲けの道具にされ、40代に突入する頃にはすでに絵の魅力が失われつつあった。無駄を省き、締め切りに間に合う効率重視の絵ばかり描いたせいだろう。

馬車馬のように漫画を描かされ、莫大な金を生み出し、どこの馬の骨かもわからないわたしのような人間に「雑な絵」と言われる。こんな悲惨なことってある?素晴らしいイラストを描いてきた人なのに。

 

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今回のタイトルに「猿みたいな人生」とつけたのは、私たちはまるで、餌をもらって芸をする猿みたいだなって思ったから。金という餌をもらうために、必死で頑張って、心のゆとりをなくし、どうすれば効率よく餌をもらえるかばかり考えてる。人より多く餌をもらえば満足し、少なければ不幸と嘆き、他人が多く貰えば嫉妬する。まさに猿みたいな価値観で、理性のかけらもない。金金金の守銭奴。いっぺん考えてみて欲しい。

その金でいったいなにが買えるの?

もしこの世界に金という餌がなければ、鳥山さんはあのような魅力的なキャラクターを生み出したり、あのような素晴らしいイラストを残せなかったんだろうか。もしくは、漫画家としての大成功がなかったとしたら、鳥山さんは死ぬまでその才能を枯らすことなく、絵を描き続けることができただろうか。

私たちは、守銭奴が支配する世界に生まれなければ、もっともっといろんなことを考えられ、自分がなんのためにこの世界に存在してるのかを感じることができたんだろうか。いやはや、

考えれば考えるほど金の邪悪さが浮き彫りになる。

合掌。

おあとがよろしいようで(よろしくないw)

 

 

香川県で橋本環奈ちゃんとデートした話

初っ端に書いとくけど、これは夢の話です。単なる夢の話なのに何故わざわざブログに書こうかと思ったのか。それは――

この夢のラストがあまりにも衝撃だったから…。

ってことで、書いてくw

 

季節は夏。場所は香川県。わたしは小旅行を兼ねて山に登っていた。見慣れた神社や家屋を抜け、ちょっとした小道を歩いていると、一人の女が現れた。それが橋本環奈ちゃんだった。一瞬ただのソックリさんかなと思ったけど、どこをどう見てもレベチの美貌なので、本人に間違いなかった。わたしは思わず声をかけた。f:id:ginji9000:20240121130726j:image

「あの、橋本環奈さんですよね?」

「はい」

「なんでこんなところにいるんですか?」

「うん……まぁ、ちょっと……」

訳アリの雰囲気。理由は言いたくないようだが、笑顔で答えてくれた。わたしと環奈ちゃんはすぐに意気投合し、山をおりて町へ向かった。散歩がてら歩いていると、環奈ちゃんがお腹が空いたというので、近くにあった洒落たレストランに入った。

平静を装いながらも、内心ミーハーが爆発していたわたしは、一緒に写真撮ってくんねえかな、とか、すぐにでも友達にラインを送りたいのをずっと我慢していた。とにかく彼女は愛想がよく、気さくで笑顔を絶やさない。めちゃくちゃ感じの良い人だった。

そんなこんなんで、運ばれた料理を食べていると、高校生くらいの少年が突然声をかけてきた。この少年もまた、驚くほど精悍で美しい容姿をしていた。どうやら環奈ちゃんと彼は幼馴染のようで、二人だけに通じるアイコンタクトを交わし、彼は環奈ちゃんが何故ここにいるのか理解したようだった。

ああ、なんか知らん、やっぱ訳アリなんだな。そう思いながらふと環奈ちゃんを見ると、彼女の瞳いっぱいに涙がたまっていて、今にも泣きだしそうな顔をしていた。そして不思議なことに、環奈ちゃんの容姿がどんどん幼くなっていく。出来のいいCGみたいに、20歳くらいから10歳くらいの少女にシームレスに変化していった。

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涙はついに頬を伝う。10歳の環奈ちゃんもとてつもない美しさで、泣いてる姿もなんだか現実感のない、嘘みたいな可愛さだなと思いながら、わたしは席を立った。あとは少年に任せればいい。そんな気分だった。

会計だけ済ませて店を出ると、わたしは即座にラインで友達にメッセ―ジを送った。「橋本環奈ちゃんと一緒に飯食ってきたwww」

阿保みたいなライン。即座に友達から電話がかかってくる。スマフォの通話ボタンを押したわたしは、なぜか小学生の頃に住んでいたボロアパートのベランダに立っていた。

わたしたち家族は2階建ての2階に住んでいて、2DKだったのでベランダも結構広く、田舎なので見通しもよかった。そんなベランダで、ケタケタ笑いながら、意気揚々と環奈ちゃんとのことを話していたその時、

 

 

 

地震が起こった

 

 

 

地面が小刻みに震えだし、どこからともなく地鳴りが轟く。地震だ!と思った瞬間、建物がガタガタと揺れだした。体感的には震度4くらい。慌ててベランダの手すりにつかまって外を見ると、アパートの周囲が完全に海になっていた。遠くにいくつかの島が見える。その島に生えてる木がすごい勢いで震えているのが見えた。揺れはどんどん大きくなり、海面の波がサーっと引いたとき、遥か先に巨大津波が見えた。嘘みたいに巨大な津波だった。うわっ、津波が来る!そう思ったときには、すでに津波は目前に迫っていた。

一瞬で到達した波は2階のベランダに立っているわたしの胸の高さまであった。波の勢いで窓に叩きつけられたわたしは、動くこともできずに激流を受け続けた。そのとき、1階に住んでたら死んでた。いや、もうこれで死ぬんだ。あっけないもんだ。そうだ、橋本環奈ちゃんは大丈夫だろうか。ああ、2025年7月に巨大津波が起こるとかどっかのババアが言ってたけど、予言が当たったのか……。と、思ったところで目が覚めた。

この夢でわたしが感じたのは、人が死ぬとき、思ったほどの恐怖はないんじゃないかってこと。もちろん夢だから言えるのかもしれない。夢の中の津波は青だったけど、実際の津波は破壊したものを飲み込んだ土石流みたいな色をしてるもんねえ。

しかし、あのレベルの津波だともはやほとんどの人は助からないと思う。だからこそ、死の恐怖を克服しなければならないんじゃないかと。ほとんどの生物に共通する死の恐怖こそが、集合意識になってこの世界に作用してるんじゃないかと。否、ま、おあとがよろしいようで笑

松本人志の件はすべての悪に繋がっている

今回のブログは改まった言葉遣いはやめて、Twitterみたいにラフな感じで書こうと思う。

松本人志が文春砲を喰らったその瞬間から、わたしには吉本崩壊のビジョンが鮮明に視えていた。べつに特殊な方法や特別な知識なんか必要ない。直感的にほとんどの芸人を巻き込んで泥舟で沈んでいくんだろうなってのがすぐにわかった。この数日間の間に松本がtweetした内容もほぼ無意味。それどころか、どうみても崩壊に拍車をかける内容で、やっぱ芸能界の頂点に居続けたような人間は骨の髄までイカれてんだなとシミジミ。

当然ながら、コバンザメのようにおこぼれを頂戴してきた腰巾着の後輩芸人たちも、詭弁と誤魔化しを総動員して自己保身に走っている。松本のプライベートの電話番号を知ってる奴らでさえ、白々しく連絡取ってないだの、真偽がわかるまで何も言えないとほざく。彼らは芸人としての人生に死刑宣告されたも同然なので、干されて消える日も間近だろう。

否しかし、人間はどんな罪を犯しても、心の底から悔い改めれば新しい活路が見つかるとわたしは信じてる。これまで金と権力に物をいわせて好き放題搾取してきた連中も、生まれ変わるチャンスと思って真実を語るべき。そうすれば必ず赦される。上から目線で赦されると言ってるんじゃなく、みんな同じように何かしらの罪を犯しながら生きてるし、自分だけは品行方正だなんてあり得ない。すべての人が加害者と被害者の側面を持っている。だから悔い改め、赦し合っていく。それが人の道でしょう。ほんとそう思うわけ。

今この瞬間、わたし達ひとり一人の選択が未来を変えるという気概をもって発言していきましょう🫡

 

で、いきなし話変わるけど、これを読んでる人の中で

自分は拝金主義の守銭奴

という自覚がある人、どれくらいいるだろうか?笑

たぶんほとんどの人が自覚ナシ。無自覚のまま全人類が守銭奴と化している。一番わかりやすいのが「成功者」というワードから状態をイメージするとき、大半の人が大金持ちを思い浮かべること。ビジネス、芸能、アダルト、スポーツ、稼ぐ方法はなんでもいい。とにかく人が羨むほどの大金さえ手に入れば、守銭奴のみなさんは成功者と崇めてくれる。金さえあれば人生どうにでもなると考えてる人もゴマンといる。それなのに自分は守銭奴という自覚は皆無って、不思議じゃない?

そして、金に取り憑かれた人間に限って、クソみてえにくだらないことに金を消費している。体がボロボロになるまで働き続け、一生かけてゴミクズを買わされる。食べ物は毒物まみれ、動物は殺戮の嵐、クリスマスや神事など、事あるごとに悪魔崇拝儀式をさせられ、しまいにゃ自分が病気になる。手術で切り刻まれ、劇薬を投与され、薬物中毒の立派な奴隷人間として最後の最後まで金蔓扱い。寝ても覚めても金金金。金の心配。未来への不安。不安ばかりで精神崩壊。でまた薬に頼る。金、毒、薬、殺戮のオンパレード。おまけに人の不幸は蜜の味と……。

こんな禍々しい奴隷人生を、なぜわたし達は選択しているのか。

あい、ようやく本題。この奴隷人生を生み出している大元凶がテレビ、芸能、スポーツ、アダルトだったってわけ。アダルトに関してはわたしも片足突っ込んでるので自己欺瞞にならない程度にしか話せないけど、とにかくテレビという洗脳装置と各界から排出されたポップアイコン(今回でいう松本人志)による

大金稼げば人生薔薇色。金さえあればなんでもできる。金で買えないものはない。愛すら金で買える。金がない人生は惨めで悲惨。だから死ぬ気で金を稼げ。他人を蹴落としてでも、どんな汚い手段を使ってでも、大金さえ手にすればお前の勝ちだ。誰も文句を言えなくなる。そして無能な庶民よ、お前達は金と権力のある者にはひれ伏して絶対服従しろ。逆らえば未来はない。それがこの世界のルールだ

という大洗脳が、わたし達を骨の髄までパッパラパーにしてきた。ただの虚構でしかないクソインチキな世の中で、創り出されたエリート達の華やかで狂った価値基準を盲目的に受け入れてきた。誰もが金のために人生を浪費して、輝けたはずの人生を奪われてきた。悲しいことに、搾取されてることにすら気づかず、人生を謳歌してるつもりの人が大多数だったりする。そりゃ他人の不幸に構ってる暇なんかなくなるのも当然。我先に我先にと利己的な幸福ばかり求め続ける。それが奴隷人間の一生。

 

 

最後に。今回の松本人志の件は単なる性加害事件じゃすまないよねえ。洗脳され、抑圧されることを当たり前に受け入れるしかなかった多くの被害者たちが声をあげられる世界に変化する前兆じゃないかと。すべては繋がっていて、この事件がわたし達の人生や、わたし達が生きてる一般社会まで大きく変える一歩になるのは間違いない。上司のパワハラ、先輩たちの理不尽な仕打ち、学校でのイジメ、他者への妬み、嫉み、僻み、犯罪、殺戮、全部なくなればいい。

そのために、まずはテレビをぶっ壊すことからはじめませんか。

 

否、わたしはゲームしなきゃなんないんで一応テレビは捨てませんがw

 

おあとがよろしいようでw


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豚を殺す夢を見た話

つい先日、豚を殺す夢を見た。

よくある学校の理科室みたいな部屋で、椅子や机が乱雑に倒れている。そして、部屋の中央に一匹の黒い豚。黒猫みたいに全身が真っ黒だった。わたしはどういうわけか、

「実際に殺してみないとどんな気持ちかわからない」

という意識で、手にナイフを持っていた。

不気味なことに、わくわくしていた。生き物を殺して食べるとは実際どういうことなのか、これでようやく知れる。わたしは豚の背後から覆いかぶさるように腕を回し、持っていたナイフで首を切り裂いた。

パックリと肉が裂け、夥しい血が流れでる。豚は暴れることなく、その場に倒れて痙攣している。その姿を見た瞬間、いや、実際はナイフで首を切り裂いた瞬間、物凄い恐怖が襲ってきた。今まで生きてきて、これほど恐怖に満ちた罪悪を感じたことがない。犯してはならない罪を犯した感覚があった。もう自分は、以前の自分には戻れない感覚があった。頭がパニックになって、豚の死体を隠そうと必死になった。どうやっても人に見つかってしまう。もうどうしようもない。自分は殺人者になったんだと、恐怖の中で呆然と立ち竦んだ。

目が覚めたとき、夢でよかったと心底安堵した。

でも、現実はこんな夢よりもっと残酷なんだよね。毎日数え切れない動物たちが人間の食料として殺されている。たとえ直接手をくださなくても、誰かが代わりに殺してくれる。

屠殺の仕事は尊い?そんなわけない。あんな仕事、今すぐ世の中からなくなるべき。たとえ夢の中でも、実際に殺してみてようやくわかった。肉食がどれだけ恐ろしい行為で、殺人となんら変わらない罪なんだってことが。

街中が肉食レストランで溢れかえり、人間は馬鹿みたいに洗脳されて、悍ましい悪魔崇拝の儀式に加担させられている。笑顔で肉を頬張る姿は、悪魔そのもの。自分が邪悪な存在の手先になって、知らず知らずに殺戮に加担させられている。どんなに善人ぶっても、どんなに動物愛護の精神があっても、肉を食べている限り、欲のために他者を殺し続けることになる。

できることなら、肉食しているすべての人にわたしが見た夢と同じ夢を見せてあげたい。夢でよかったと安堵しても、過去は消せない。たった一匹の豚を殺したときに感じたあの恐ろしい罪悪を、知らず知らずに数えきれないほど繰り返してきた。虐殺された肉で溢れかえる狂った街。狂った人。その呪詛を受けて人間同士もいがみあい、傷つけ合い、奪い合って殺し合う。もうやめましょうよ。ほんと、いい加減に。

 

おあとがよろしいようで🫰

①孤高の人になるために

わたしのブログはハイヤーセルフの力を得て書いてるときと、ほぼ自分の力だけで書いてるときとの2パターンがある。高次元の力を借りた場合、余計な思考が介在せず、ほとんど自動書記のようにスラスラと完成するので、自分でもハッキリと違いがわかる。果たして、今回のブログはスラスラと完成するだろうか笑

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コロナ禍が始まってからの数年で、わたしの思考はすっかり変化した。スピへの夢想をやめ、実践に移行。その手始めが牛肉と豚肉の断食だった。きっかけは中村天風の言葉。

「四足動物は知能が高く、殺されることを理解している。絶命の瞬間、彼らの放つ恐怖、怒り、呪詛の念が肉に宿り、その肉を食べた人間は必ず病気になる。だから絶対に食べてはいけない」

聞いた直後はおどろおどろしく感じたけど、今になってみれば、この言葉がまったくの真実だったと理解できる。すべての動物が人間と変らない知性と感情を持っている。その証拠とも呼べる動画がネットを通じて大量に拡散されている。それらを見てもなお、人間の行っている動物虐殺に悪魔的な邪悪さを感じないなら、あなたは骨の髄まで洗脳され切ってるんだろう。

わたし達の愛する人が、食べると美味しいなどという悍ましい理由で惨殺されたら。あなたが泣き叫び、どんなに命乞いをしても、下等な生物とみなされ、殺され、その体を切り刻まれるとしたら、絶命の瞬間、どんな感情を抱くだろうか。

わたし達となにも変らない動物たちを殺し続けることに、どんな言い訳も、どんな詭弁も通用しない。こんな地獄のような世界を人間が作り出し、食べることで虐殺に加担しながら、知らん顔で善人面している。感動的な映画や音楽で涙を流し、ペットを可愛がる。美しい愛を語りながら、その口で惨殺された死肉を食べている。こんな異常なこと、もうやめなければならない。

わたし自身、これまで相当な虐殺に加担してきた。今さら肉食をやめたところで過去は変らない。無自覚だったとか、洗脳されてたからという言い訳も通用しない。この罪はいずれ何らかの形で償うことになると思う。ただ、今は少しだけ洗脳が溶けて、ほぼ動物性の食べ物を断つことができた。エキスなどを含めると完璧ではないけど、以前と何も変らない食生活を続けていたら、近い将来、確実に何らかの病を発症したと思う。

以上の話は、今現在肉食を続けてる人にはほとんど響かないだろう。自分が殺すわけでなく、血塗れの惨殺現場は他の誰かが担っているから。美しいものだけ見て、自分は犯罪も犯さない善人だと思い込んでいる。それどころか、感謝さえすれば他の生物になにをしても許されるという傲慢さに死ぬまで気づかない。これが幼少期から刷り込まれた洗脳でなくてなんだと言うんだろう。

日本人のほとんどが因果応報を簡単に理解できるのに、動物たちを虐殺し続ける因果になんの応報もないと思っている。いや、その発想すらないんだろう。自分もそうだったからわかる。屠殺シーンを何度見ても、その行為がなにを意味するのかまで深く考えられなかった。ただ教えられた通り「感謝して命を頂く」という完全なる欺瞞の免罪符をもとに、狂ったように貪り続ける。街中に肉食レストランがあり、ほぼすべての料理レシピに同胞の肉が使われている。そう、わたし達は延々と仲間を殺し続けて食べている。

そして、その因果の集大成が、今現在、地球人類の抱えた問題すべてに顕れている。一向にやまない戦争、犯罪、いじめ、いやがらせ、妬み僻み、情緒不安、虚栄心、名誉欲、SNSの虚構など、挙げたら切りがないほどの嘘と詭弁、欺瞞に満ちている。

この悪魔的な世界から抜け出す最も簡単な方法が、金による支配からの脱却と、食生活を変えること。難しいようで一番簡単なのがこの2つなのは、わたしのような怠惰で飽き性な人間が実践できるのだから間違いない。

不要なものに価値を感じず、必要以上に物を買わない。贅沢も必要ない。過食の原因は不安やストレスで、そのとき飲食するものは十中八九、身体の細胞を破壊する毒物の砂糖、添加物、酒、タバコ。人によってはそれがギャンブルだったり、買い物依存、セックス依存、他者への攻撃だったりする。やがて脳にも影響が出て、まともな思考ができなくなる。もちろん本人は自分がおかしくなってる自覚がないので、さも当然のごとく「美味しいものたべれてしあわせ」などと勘違いしている。その日々の積み重ねが数十年後、ありとあらゆる身体の不調を引き起こすのに。

 

ハイヤーセルフが大活躍で長くなったので、続きは「②孤高の人になるために」で書こうと思うw

 

 

 

 

 

マドフラ界隈、まだまだ続くアホみたいな茶番

この内容は、2022年の年末に起きたマドフラ界隈工作員炙り出しライブのその後の話だから、わかる人にしかわからない内容ですが、あまりに滑稽で、あまりにもアホの極みたいな話なので、こんな茶番劇を人生かけてやってる人が本当にいるんだなあという感じで書いていきたい。

そもそも例の年末ライブ以降、わたし個人においては地球平面説、マドフラ関連の話題ともに、どうでもよくなっている。界隈のインフルエンサー気取りの人間がひたすら知識の横流しをやってるだけの状態で、ハッキシ言ってもう飽き飽きなんだよね。

地球は平面で〜、NASAは嘘つきで〜、前文明がこうでああで〜、と、なんの進展もない話を年単位かけて繰り返されても、

 

「で? だからなんなんだよ」

 

って感じ。わたし達は強烈な洗脳状態で虚構の世界に奴隷として生かされてる。そこまでわかって、で、あんたは自分の人生において何を始めて、何を変えたんだよ。口先だけじゃなく、これらの情報に触れたあと、なにを実践してる? 否、それを配信しろよ。

くだらない集団に依存して、フラットアースを広めるマッドフラッドを広めるなどという虚栄心丸出しの詭弁を言う前に、一個人としてできることを考え、実行しろよ。個々人の地道な活動こそが、集団の意識を変えることに繋がる。そんなこともわからないんだろうか。内輪で馴れ合いしてるだけとか不毛にもほどがある(しかも工作員まみれ)。

この観点からも、やはり残ったのはエンドゥさんとカズミさんだけだった。2人は最低限、情報の横流しや知識の転売やってるだけの連中と違い、様々なことを実践し、それを配信している。そして、2人に感銘を受けた視聴者の人たちも個々でいろいろ実践しているみたい。当たり前だけど、口先だけの奴に現実を変える力はない。

だから、とっくの昔に過去の人になった界隈の連中が、性懲りもなくエンドゥさんを利用して再度注目を集めようとしたり、今更方向転換してなにかを始めたところで、人間にとって最も重要な信用信頼が地の底まで失墜してるのにどうにかなるわけないだろう。

わたしが特に気色悪いと思うのは、スピ、ビジネス、金が絡むと、界隈がただのアタオカ陰謀論と思われるという論調。否、それ言ってるあんたらが一番この界隈を単なるアタオカのクソみたいな陰謀論に落とし込んでんだけどな。どの口が言ってんだよ。

さらにウザいのは、集スト被害者のエンドゥさんを狂人、病人扱いしたとっつぁん坊やが、陰で宗教団体所属と言われたくらいで怒り散らして「証拠出せ」と息巻いていたこと。

あれだけ証拠を提示し続けたエンドゥさんを心の病気扱いしたんだから、あんたのも単なる被害妄想の心の病気なんじゃないですか。それとも、想像力がないから、自分がやられて初めてわかったんですか。こんなことやられたらクソ腹立つと。

ていうか、幸福の科学であろうとなかろうと、どんな宗教団体に所属しようがしまいが、人間の価値はなにも変わらない。それを、宗教団体に所属してるのをさも恥かのごとく全力否定で証拠出せって、幸福の科学に失礼すぎる笑

そもそも、自分という人間に嘘がなければ、「いえ、違います」の一言ですむ話。怒りなんかわかないだろう。証拠だせなどと言う必要もない。だって、相手が100で嘘ついてんだから。いったい誰になにを証明するために証拠を要求してんだか。お得意の文言「リアルで会った人」はみんなあなたのことを信用してくれてるんじゃないんですか。だったらそれがすべてでしょう。

詰まる所、怒りの根源がどこにあるかを、今一度加藤諦三先生の書籍でも読んで学び直したほうがいい。

 

ってな感じで、相変わらずフラットアース、マッドフラッド界隈はどうにもなんないレペルに狂ってる様子で、正真正銘反吐がでる。もちろん大多数の人は情報を真摯に受け止めて、自分なりの実践に努めているとは思いますが、自分をインフルエンサーかなんかだと勘違いして内輪で盛り上がってるだけのしょーもない口先連中は、自分のやってることを省みたほうがいい。取り巻き集団ありきの言論の無意味さファキイェア🖕笑

 

おあとがよろしいようでw

 

マスク人間と奴隷解放運動!

再送(29日配信記事)-WHO、コロナワクチン接種勧告を改定 健康な子どもは必ずしも必要なし | ロイター

マスク解禁からほどなくして、WHOのこのニュースが流れた。マスクが無意味だったどころか、毒ワクまで打つ必要がなかった。この事実を、同調圧力ワクチン打て打て警察の外道ども(主に著名人)はどう受け取ったのだろう。

そして、今朝も電車でマスク外してるのはわたし1人だけだった。感覚的に、通勤時のノーマスクは数車両に1人いるかいないか。完全に希少種。嘆いても仕方ないけど、ここまでくるともはや精神病でしょう。日本人はたった3年で、人前でマスクを外すのが怖い、恥ずかしいという精神状態に追い込まれてしまった。99%の人間が顔を隠してる中で、自分だけ素顔を晒せば視線が一気に集中する。そんなの耐えられない!と、勝手に思い込んでる。誰もあんたのツラに興味ねえよって話なのに笑

いや、実際物珍しそうな目だったり、不躾で怪訝な視線を飛ばしてくるやつもいるけど、こっちからしたら「で?」って感じ。ビタ一文口も開いてないし関係ない。むしろ、くだらない洗脳の構図が理解できた人からマスクを外していくべき。

花粉症だから仕方ないという人もいるけど、それに関しても個人的に嘘なのがわかった。わたしもクシャミ鼻水目のかゆみにやられまくってるけど、マスクつけてないほうがよっぽど楽なのだ。たぶんマスクつけてると、マスク内に延々とアレルゲンが滞在して、いつまで経っても鼻水が止まらない。おまけに呼吸も超苦しい。以上のことから、本当に必要なのはマスクではなく密閉タイプのゴーグルだとわかった。皆さんの中で花粉症に苦しんでる人がいたら、一度マスクを外して試してみればいい。気分爽快で超スッキリ。当然、それでどうなっても自己責任にはなりますが笑

 

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ところで、最近ホームラン級の馬鹿なのかと思うTweetを見かけたので、もともと好きじゃないエアリプっぽいことをしてみた。わたしのその投稿を見た人もいるかもしれない。要は、

コロナワクチン打った人間は馬鹿で近々死ぬ

という愚かなTweetに対し、馬鹿はそっちな、という反論Tweetをしたのだ笑

ワクチンを打ってない人間でときどきこういう考え方の輩がいるけど、こういうのに限って特保マークのお茶とか飲んでんだろうなって思ってる。これさえ飲んどきゃ油っこい食事しても大丈夫!(ワクチン打ってないから自分は大丈夫!((根拠ゼロw)))みたいな。

輪をかけて、打たなかった自分は利口で安泰と勘違いしてるんだろう。じゃなきゃ打った人間は死ぬという考えになるわけない。

打っても打たなくても生きとし生けるすべての生物はいずれ死ぬ

ただそれだけ。だから、恐れる必要がない。この基本を忘れて妙な優越感に浸ってんの、キモ過ぎる。どうせワクチン打ってなくても毒食で病気になるし、あの精神衛生の状態からも、何かしらを発症するでしょう。

わたしも毒ワクを2回打った。もちろん少しばかりの後悔はある。そのことを馬鹿だと言われれば馬鹿に違いない。そんなのわかりきってる。仕事を失おうが、無一文になろうが、打たれて死ぬよりマシなのだから。

しかし、わたしは今、生きている。それがすべての答えでしょう。生きてさえいれば何度でもやり直しがきくし、生きている限り、無限の可能性がある。ここでいう無限の可能性とは、世界がどんなに狂っていても、おかしな闘いに巻き込まれたとしても、この器(身体)を使って人生を楽しむことはできる!ということ。


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おあとがよろしいようでw