わたしのブログはハイヤーセルフの力を得て書いてるときと、ほぼ自分の力だけで書いてるときとの2パターンがある。高次元の力を借りた場合、余計な思考が介在せず、ほとんど自動書記のようにスラスラと完成するので、自分でもハッキリと違いがわかる。果たして、今回のブログはスラスラと完成するだろうか笑
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コロナ禍が始まってからの数年で、わたしの思考はすっかり変化した。スピへの夢想をやめ、実践に移行。その手始めが牛肉と豚肉の断食だった。きっかけは中村天風の言葉。
「四足動物は知能が高く、殺されることを理解している。絶命の瞬間、彼らの放つ恐怖、怒り、呪詛の念が肉に宿り、その肉を食べた人間は必ず病気になる。だから絶対に食べてはいけない」
聞いた直後はおどろおどろしく感じたけど、今になってみれば、この言葉がまったくの真実だったと理解できる。すべての動物が人間と変らない知性と感情を持っている。その証拠とも呼べる動画がネットを通じて大量に拡散されている。それらを見てもなお、人間の行っている動物虐殺に悪魔的な邪悪さを感じないなら、あなたは骨の髄まで洗脳され切ってるんだろう。
わたし達の愛する人が、食べると美味しいなどという悍ましい理由で惨殺されたら。あなたが泣き叫び、どんなに命乞いをしても、下等な生物とみなされ、殺され、その体を切り刻まれるとしたら、絶命の瞬間、どんな感情を抱くだろうか。
わたし達となにも変らない動物たちを殺し続けることに、どんな言い訳も、どんな詭弁も通用しない。こんな地獄のような世界を人間が作り出し、食べることで虐殺に加担しながら、知らん顔で善人面している。感動的な映画や音楽で涙を流し、ペットを可愛がる。美しい愛を語りながら、その口で惨殺された死肉を食べている。こんな異常なこと、もうやめなければならない。
わたし自身、これまで相当な虐殺に加担してきた。今さら肉食をやめたところで過去は変らない。無自覚だったとか、洗脳されてたからという言い訳も通用しない。この罪はいずれ何らかの形で償うことになると思う。ただ、今は少しだけ洗脳が溶けて、ほぼ動物性の食べ物を断つことができた。エキスなどを含めると完璧ではないけど、以前と何も変らない食生活を続けていたら、近い将来、確実に何らかの病を発症したと思う。
以上の話は、今現在肉食を続けてる人にはほとんど響かないだろう。自分が殺すわけでなく、血塗れの惨殺現場は他の誰かが担っているから。美しいものだけ見て、自分は犯罪も犯さない善人だと思い込んでいる。それどころか、感謝さえすれば他の生物になにをしても許されるという傲慢さに死ぬまで気づかない。これが幼少期から刷り込まれた洗脳でなくてなんだと言うんだろう。
日本人のほとんどが因果応報を簡単に理解できるのに、動物たちを虐殺し続ける因果になんの応報もないと思っている。いや、その発想すらないんだろう。自分もそうだったからわかる。屠殺シーンを何度見ても、その行為がなにを意味するのかまで深く考えられなかった。ただ教えられた通り「感謝して命を頂く」という完全なる欺瞞の免罪符をもとに、狂ったように貪り続ける。街中に肉食レストランがあり、ほぼすべての料理レシピに同胞の肉が使われている。そう、わたし達は延々と仲間を殺し続けて食べている。
そして、その因果の集大成が、今現在、地球人類の抱えた問題すべてに顕れている。一向にやまない戦争、犯罪、いじめ、いやがらせ、妬み僻み、情緒不安、虚栄心、名誉欲、SNSの虚構など、挙げたら切りがないほどの嘘と詭弁、欺瞞に満ちている。
この悪魔的な世界から抜け出す最も簡単な方法が、金による支配からの脱却と、食生活を変えること。難しいようで一番簡単なのがこの2つなのは、わたしのような怠惰で飽き性な人間が実践できるのだから間違いない。
不要なものに価値を感じず、必要以上に物を買わない。贅沢も必要ない。過食の原因は不安やストレスで、そのとき飲食するものは十中八九、身体の細胞を破壊する毒物の砂糖、添加物、酒、タバコ。人によってはそれがギャンブルだったり、買い物依存、セックス依存、他者への攻撃だったりする。やがて脳にも影響が出て、まともな思考ができなくなる。もちろん本人は自分がおかしくなってる自覚がないので、さも当然のごとく「美味しいものたべれてしあわせ」などと勘違いしている。その日々の積み重ねが数十年後、ありとあらゆる身体の不調を引き起こすのに。
ハイヤーセルフが大活躍で長くなったので、続きは「②孤高の人になるために」で書こうと思うw