アルバムの写真を職場のシュレッダーにかけ、思い出の品の内、90%の破棄が終わった。あとは狭い収納の中で眠る粗大ゴミ数点を捨て、メルカリなどで売れる物を売り切れば、粗方の断捨離は終わる。
この断捨離は、いつか自分がこの世を去るときの為の下準備ともいえる。
生涯パートナーを作るつもりがないわたしは、部屋の中で孤独死する可能性が圧倒的に高い。
もし孤独死したなら、特殊清掃員の人が片付けに入ったとき、なるべく簡潔に清掃を終えられる状態にしていたい。
残された遺品からわたしがどんな人生を歩んだとか、どんな人物だったかを慮って欲しくない。わたしはこの地球に誕生したすべての生命と同じように、ただ生まれて、死んでゆく。それだけの存在でいい。
わたしの人生に、わたし以外の人がどのような意味も与えることはできないのだから。
その為には、なるべく物を持たないほうがいい。消えゆく命を前に、手にした物にどれほどの価値もないだろう。
たとえ今、生きているわたしがどうしても手放したくないと思える物があったとしても、それすら、本当は儚い幻のようなものなんだと思う。
二度と見ることができない。
二度と触れられない。
記憶から消えてしまえばそれまで。
物を捨てることは、人の死に似ている。
あんなに大切に思えた物を捨てても、わたしは生きている。
否、生きられる。
だから、感謝を込めてひとつひとつにさよならするのだ。
🍀🍀🍀
孤独死は悲惨で可哀想な最期だろうか。
わたしはそうは思わない。
どんな最期だったとしても
その人なりの人生を生きたはずだから。
何が幸せで、何が不幸かは、
他人ではなく、自分で決める。
わたしが突然死んで、腐臭を放ちながらフローリングにドス黒いシミを残したとしても、これを読んでいる皆さまはどうか忘れないで欲しい。
わたしは死ぬ瞬間まで最高に能天気でハッピーだったはずだから笑
「うわ〜、この激痛、たぶん死ぬな、これ……笑」
なんて笑いながらブラックアウトしていくだろう笑
改めて、大家さんごめんなさい🙇♂️
おあとがよろしいようでw
(注意!遺書ではありませんw)