ここ10年くらいずっとミニマリストになりたい願望を抱きつつ、たくさんの物に囲まれて暮らしてきた。
しかし、あるとき友人がわたしの部屋に来て、
「物少ないね〜」
と言ったのを聞いて仰天。
えっ!?これで少ないの!?
よくよく見ると、わたしの部屋には案外必要最低限のものしかない。なんだか散らかって見えるのは、主に機械類の配線がゴチャついてるのと、部屋自体に収納がないせいだ。台所や部屋に相応の収納があれば、すでにソコソコのシンプリストな気がする。
それでも、まだまだ手放すべき物がたくさんある。
YouTubeでいろんなミニマリストの動画を見て、これなら自分も実践できると思い、試そうと思ってること。
- 100均で買い直せる使ってないものは捨てる
- 今使ってないものは捨てる
- 機器類はフリマで処分する
この3つの中で1番大変なのが、機器類をフリマで処分することだろう。配送が面倒なのでジモティーで近場の人に買ってもらいたいけど、それでもやり取りが面倒くさそう。いっそ捨てたいくらいなんだけど、機器なのでどう捨てるかもよくわからなかったりするし笑、ほぼ新品みたいなのもあるから、本物のゴミになるより安価で人手に渡ったほうがいい気もする。
あとは服。
服は一度大量処分したんだけど、結局履きもしないジーンズやその他の服もそこそこ残ってたので、これらも一気に処分するつもり。1年に1回も履かない、袖も通さないのは、思い入れがあったりして若干つらいけど手放すことにする。
そういえば、この季節になるとわたしはよく胸に汗疹が出来てたんだけど、UNIQLOのエアリズムを着るようになってほとんどできなくなった。エアリズムの速乾性能すごいよね。最終的にTシャツはエアリズム、もしくは、ユニクロのドライTシャツオンリーになってもいいかなって思ってる。
なにせわたしは、来年死ぬかもしれないのだから笑
いつかYouTubeでも話そうと思ってたこと。
あらゆる物、あらゆる感情を手放す際に、魔法の言葉として使いたい銀次オリジナルの台詞がある。それは、
「死を前にして、これは本当に大切(必要)なものなのか?」
例えばあなたが、10分後に確実に死ぬと知ったとき、1年以上使っていない家具家電、袖も通さない服にいかほどの価値があると思いますか?
思い出の写真、思い出の品、それらを無性に価値あるものとして感じるのは、あなたが今、生きているからじゃありませんか?
「価値は生命に従ってついている」
というフレーズがある。
さすが林檎ちゃんだよね。
ホンソレビアンコ得盛りファッキヤーである笑
わたし達が生きた証、人生で得たすべての物、経験は、ひとつも漏れることなく完璧な状態で魂に刻まれている。失くしたと錯覚することはあれど、その実、何一つとして失くしてはいない。
失った愛は?
愛を得た瞬間も、愛を失った瞬間も、まったく同じ価値として魂に刻まれている。だから、失うことを恐れる必要はない。
だってあなたはすでに、ありあまる富を得ているのだから。
おあとがよろしいようでw