銀次のブログ

日々の何気ない思考を書き連ねる

🤞シンプルに生きるために手放す🤞

前回のブログでも書いた通り、シンプリストを目指すためにこの1週間で様々なものを手放した。

 

ひとつは家電。

ジモティーで5点売った。

相場よりも破格な安値に設定したので、

出したらその日のうちに売れてしまった。

 

ジモティーなので基本は待ち合わせて購入者に手渡しするんだけど、買ってくれた人がみんな丁寧で感じの良い人ばかりで嬉しかった🤗笑

 

 

次に手をつけようと思ってるのは思い出の品。

 

 

まずはアルバムを手放そうと思う。

これに関しては、わたしが現在使っているスマフォ「Galaxy S21 ultra」の1億800万画素のカメラで紙の写真を撮影し、データ保存しようと思っている。データならいくらコピーしてもかさ張らないしね👍

 

にしても、我ながら驚いた。

40年以上生きてきて、わたしはアルバムを1冊しか持っていなかった。もともと頻繁に写真を撮るタイプじゃないし、20代前半で完全にデジカメに移行したので、フィルムの現像をしなくなったのも原因のひとつだろう。(デジカメで撮った写真ももはやどこに行ったか所在不明だけどね……🥱笑)

 

デジタル化が済んだ紙写真は、

密かに職場のシュレッダーにかけようと思う笑

 

 

🌳🌳🌳

 

 

来月にはかなりの物がこの部屋からなくなる予定。

まるで終活をしている気がするのは何故だろう。

大半のミニマリストは、いつでも体一つで引っ越しできるとかいうけど、わたしはいろいろな物を処分しながら、

 

「これでいつ死んでも大丈夫」

 

なんて考えている。

でも、まだ断捨離は終わってないので、死んでもらっては困るのだが笑

 

 

おあとがよろしいようでw

(あんまよくないw)

 

🤗ミニマリストの前身としてシンプリストを目指す🤗

ここ10年くらいずっとミニマリストになりたい願望を抱きつつ、たくさんの物に囲まれて暮らしてきた。

 

しかし、あるとき友人がわたしの部屋に来て、

 

「物少ないね〜」

 

と言ったのを聞いて仰天。

 

えっ!?これで少ないの!?

 

よくよく見ると、わたしの部屋には案外必要最低限のものしかない。なんだか散らかって見えるのは、主に機械類の配線がゴチャついてるのと、部屋自体に収納がないせいだ。台所や部屋に相応の収納があれば、すでにソコソコのシンプリストな気がする。

 

それでも、まだまだ手放すべき物がたくさんある。

YouTubeでいろんなミニマリストの動画を見て、これなら自分も実践できると思い、試そうと思ってること。

 

  1. 100均で買い直せる使ってないものは捨てる
  2. 今使ってないものは捨てる
  3. 機器類はフリマで処分する

 

この3つの中で1番大変なのが、機器類をフリマで処分することだろう。配送が面倒なのでジモティーで近場の人に買ってもらいたいけど、それでもやり取りが面倒くさそう。いっそ捨てたいくらいなんだけど、機器なのでどう捨てるかもよくわからなかったりするし笑、ほぼ新品みたいなのもあるから、本物のゴミになるより安価で人手に渡ったほうがいい気もする。

 

あとは服。

服は一度大量処分したんだけど、結局履きもしないジーンズやその他の服もそこそこ残ってたので、これらも一気に処分するつもり。1年に1回も履かない、袖も通さないのは、思い入れがあったりして若干つらいけど手放すことにする。

 

そういえば、この季節になるとわたしはよく胸に汗疹が出来てたんだけど、UNIQLOのエアリズムを着るようになってほとんどできなくなった。エアリズムの速乾性能すごいよね。最終的にTシャツはエアリズム、もしくは、ユニクロのドライTシャツオンリーになってもいいかなって思ってる。

 

なにせわたしは、来年死ぬかもしれないのだから笑

 

いつかYouTubeでも話そうと思ってたこと。

 

あらゆる物、あらゆる感情を手放す際に、魔法の言葉として使いたい銀次オリジナルの台詞がある。それは、

 

「死を前にして、これは本当に大切(必要)なものなのか?」

 

例えばあなたが、10分後に確実に死ぬと知ったとき、1年以上使っていない家具家電、袖も通さない服にいかほどの価値があると思いますか?

 

思い出の写真、思い出の品、それらを無性に価値あるものとして感じるのは、あなたが今、生きているからじゃありませんか?

 

椎名林檎の曲「ありあまる富」の歌詞に

 

「価値は生命に従ってついている」

 

というフレーズがある。

さすが林檎ちゃんだよね。

ホンソレビアンコ得盛りファッキヤーである笑

 

わたし達が生きた証、人生で得たすべての物、経験は、ひとつも漏れることなく完璧な状態で魂に刻まれている。失くしたと錯覚することはあれど、その実、何一つとして失くしてはいない。

 

失った愛は?

愛を得た瞬間も、愛を失った瞬間も、まったく同じ価値として魂に刻まれている。だから、失うことを恐れる必要はない。

 

だってあなたはすでに、ありあまる富を得ているのだから。

 

おあとがよろしいようでw

 

 

😈オカマと悪魔崇拝と大宇宙😈

美輪ピカチュウ明宏大先生はオカマという言葉が嫌いらしい。

 

確かにオカマは、ずいぶん長い年月嘲笑の的だった。

この言葉のために傷ついた人はたくさんいるだろう。

しかし、現代は違う。時代が変わったのだ。

 

オカマ、オネエ、ゲイ、レズ、ホモ、トランスジェンダー

あらゆる言葉はポジティブに変換され、虹色に光り輝いている!

 

同性愛者だけじゃない。

すべての人類が自由に個性を表現できる。

オカマと罵られたら「オカマですがなにか?」と言っていい。

外見が男なのに女のような所作や言葉遣いをしたとして、

それになんの問題があるの?

 

女が女を愛して、子供を産むことを放棄したとして、

いったい誰に迷惑をかけるというの?

 

 

少子化につながる?

少子化になってなにか問題がありますか?

むしろ人間は増えすぎてるんだから、

我々は人口削減に貢献してるじゃありませんか。

 

長い年月をかけて人々の想念を封じ込め、

思い通りにコントロールし、

がんじがらめにして奪ってきた人たち、

いい加減目醒めてください。

 

あなたが正しいと思うことも、間違いだと思うことも、

どっかの誰かが人を操るために考えた価値観の刷り込みでしかない。

その刷り込まれた価値観を子供たちに植え付けるの、いい加減やめましょう。

 

時代はとっくに変わったんです。

 

人は自分の頭で考え、自分の意志で判断できる。

そのために最も重要なのは、子供への教育です。

子供にあれはダメ、これが正しいと教えるのではなく、

つねに問いかけてください。

 

「あなたはどう思うの?」と。

 

出した答えが本当に正しかったのか、間違っていたのか。

それ自体、また子供自身に考えさせてください。

親の思考と価値観を押し付けるのではなく、

その子の持つ自由な発想と考えを尊重してください。

 

***

 

では、わたし達のようなすでに洗脳済みの大人はどうすればいいのか。

わたし達もやはり、同じように考えるしかない。

自分が正しいと思っていることは、本当に正しいことなのか。

その正しさは、価値基準は、いったいどこからやってきたのか。

自分や他人を間違っていると非難するときこそ、思い出して欲しい。

 

いったい自分は、

何年生きてきてこんなくだらない価値観に執着してるんだと

 

わたし達はもっと自由に自分を表現し、

もっと自由に他人を思いやれるはず。

全身の細胞に流れるポジティブなエネルギーを感じてください。

姿勢を正し、まっすぐ前を見て歩けば、答えはそこにあります。

 

***

 

以上が、悪魔崇拝の考え方である笑

 

えっ、これ悪魔崇拝なの?と思った人、そうです。

これこそが悪魔崇拝の考えかたです。

厳密に言うと半分悪魔崇拝が正しい笑

 

昨今、エンタメの世界はほぼ100%悪魔の手に堕ちて、

もはや単なる洗脳装置としてしか機能してないように思う。

TikTokとかYouTubeのショートムービー、SNS全般見てると、

うわぁ~、悪魔だね~ってしょっちゅう思う笑

 

編集の仕方や見せ方が完全に思考能力を奪う形なんだよね。

こうすれば有名になれる、こうすればお金持ちになれる、

こうすれば人気者、こうすれば面白い。

そんなことの為に、悪魔に追随する人が後を絶たない。

似たような編集法と、似たような内容の動画ばかりになるのも頷ける。

価値観は一気に傾いて、これこそが正しい、これこそが正義と、

誰しも思い込まされる。

 

しかしこれって、地球規模の人類視点で見ると危うそうなだけで、

大宇宙の視点で見ると、そんな悪魔との攻防すら、ちっぽけなことに思えてくる。

 

何故なら、小説三体「死神永生」の二週目を読み終えたからだ笑

 

果てしない大宇宙の中で、この地球という塵にも満たない小さな星で、

わたし達は時間に囚われて一瞬の人生を終えていく。

どんな経験も、どんな過ちも、大宇宙を前になんの意味もないのかも。

それならやはり、今を楽しんで生きるべきですよね。

生命が、ただここに存在するという超絶な謎に翻弄されながら笑

 

おあとがよろしいようでw

 

🙄こんな人が映画やドラマや音楽に感動して涙を流してるの?🙄

ついに魔都東京も本格的な梅雨に入り、わたしの大好きな毎日雨が実現している。

 

灰色の空、地面を打つ雨音、なにかが起こりそうな陰鬱な雰囲気、もしもこのまま、永遠に雨が降り止まなかったらどうなるんだろうと想像してみたり、雨の日のいろんな要素がわたしの心をワクワクさせる――とは言え、それは仕事が休みの日限定で、出勤時に雨が降ってると普通にダルいだけである笑

 

しかも、30代の頃にはまったくなかった気圧頭痛も起こるようになり、耳マッサージなどの手を打たなければ、雨の日はなんだか頭が痛くて身体もダルかったりする。今日は遅刻寸前までしっかり寝てるせいか全然平気なので、こうしてブログを書いてる次第😎笑

 

☂️☂️☂️

 

雨が降るたび、思うことがある。

なぜこの人は、こんなことをしてるんだろうと。

そんな疑問符が浮かぶ他人の行動を3つあげる。

 

  • 閉じた傘を前後に振りながら歩く
  • 駅の出入り口で人の流れを無視して立ち止まり傘を開く
  • 狭い歩道ですれ違うとき一切避けない

 

閉じた傘を前後に振りながら歩く人は、この10年くらいでかなり減ったように思う。もしかしてテレビやtwitterで啓蒙活動があったのかもしれない。f:id:ginji9000:20210703094122j:image

にしても、まだまだいるよね、この持ちかたで歩く人。こないだも30代くらいのサラリーマンが豪快に前後に振っていて、後ろを歩いてる歩きスマフォの女性(前を見てない)に今にも突き刺さりそうで見てるこっちがヒヤヒヤした。ついさっきも、髪も服もオシャレできちんとした身なりの女性が、シャンパンゴールドの傘を物凄い勢いで前後に振りながら颯爽と歩いていた。

 

わたしもきっと、なんの意識もしなかった子供の頃はこんなふうに持っていたかもしれない。そしてある日、このイラスト通りの現象が起きて気づいた。ああ、この持ちかたは危なくてダメだなと。なので、閉じた傘の持ちかたは、親や学校に教えられたわけでなく、どっかの誰かがナチュラルに反面教師をしてくれて学んだ笑

 

しかしながら、危険な持ちかたに気づいたのは、どう遡っても小学校高学年くらいだから、何十年も生きてきた大人が、いまだにこの程度のことに気づかない、周囲の人への気配りゼロというのは、いかがなもんかと思う。

 

🌧🌧🌧

 

駅の出入り口で人の流れを無視して立ち止まり傘を開く(または閉じる)。これは危険な持ちかたをする人の比じゃないくらい大量にいる。ビタ一文雨に濡れたくない心情の表れだと思うけど、わたしの目にはこう映る。

 

「周囲の人の邪魔になろうがなんだろうが、自分さえ濡れなければそれでいいんだよ」

 

前後左右の人への気づかい皆無。

自分が自分がの精神。

 

出入り口の階段の直前でいきなり立ち止まるというのはそこそこに危険なはずだけど、傘の開閉タイミングの予測が簡単だから事故にもならないんだろうな。それでも、わたしの最寄り駅は出入り口が狭いので、立ち止まられるとなかなかに邪魔なときが多い。

 

濡れずにすむ出入り口の空間には人数制限があるから、立ち止まる人がいれば、そういった人たちを安全のために避けて、雨に濡れながら傘を開く羽目になるわたしのような人間もたくさんいる。つまり、あなたが濡れない代わりに、他の誰かは自動的に濡れざるを得ない状況になってしまう。

 

まさに、誰かの幸福の裏では必ず誰かが不幸になっているという、物理次元の真理が雨によって再現されているのだ笑

 

(そもそもに歩きながらスムーズに傘を開く人が大多数である笑)

 

🍭🍭🍭

 

狭い道ですれ違うとき一切避けない(譲らない)。

 

これは魔都東京に限っては、天候に関わらず山のようにいる。毎日チキンレースをやってる気分である笑

 

だからわたしは、人に道を譲らない人間の顔つきをチェックするようになった。譲らない人間はだいたい数メートル先からでも譲らないオーラをビソビソに発しながら歩いてくるからすぐわかる。

 

すると、譲らない人間の大半が同じ顔つきをしていることがわかった。

 

不平不満、怒り、不貞腐れ

 

このどれかに必ず当てはまる。

単純に疲れてボケーっとしてるのとか、歩きスマフォで前を見ていない、友人と一緒など、群集心理のテンションで空間認識能力を失くしてる人は除外する。

 

世の中には、自分の怒りを赤の他人を使って解消しようとする人間がいる。職場や家族、友人知人に八つ当たりする人もいる。わたしはその都度思う。こんな人間でも、映画やドラマ、音楽に感動して涙を流すことがあるんだろうか。

 

感動の涙が人間愛や他者に対する思いやりから流すものであるなら、感動の涙を流すことはできるのに、人に道を譲る程度の思いやりも持たない人間の存在が不思議でならない。その涙、インチキかなんかですか?笑

 

他人に道譲ったら天地がひっくり返って人類滅亡するとかならまだしも、感謝こそされ、マイナスになることなんてひとつもないのに、それでも、常に怒りに苛まれてる人は他人を攻撃することで自分を癒そうとする。やるなら自分を攻撃すればいいのに。不快な原因はあなた自身なのだから。

 

こうしてわたしは今日も、貴重な休憩時間をブログに費やし、一日を終えるのだろうな……笑

 

おあとがよろしいようでw

 

 

🤧実録!友人がスピ詐欺被害者になった日🤧Part3

Kさんはわたしが笑いながら話をすることに文句をつけだした。

 

こういう話のときは普通笑わない

笑われると馬鹿にされてる気分になる

こんな感じになるなら話さなければよかった

 

だいたいこの3つのことでエンドレスにわたしを責めてくる。

 

しかし、わたしとKさんは、これまでにどんな深刻な話も、どんな悲惨な話も、楽しく笑い飛ばしてきたじゃないか。それなのに、この10年の関係の中で今度の話だけは一切笑わずに聞けという。

 

だからわたしはハッキリと言った。

 

「自分が話したいことを勝手に話して、この話は笑いながら聞くなとか、こんなになるなら話さなければよかったって、それ、俺に対してどれだけ失礼なこと言ってるかわかりますか?馬鹿にしてるというけど、俺は馬鹿になんかしてないし、Kさんが勝手に馬鹿にされてるって思ってるだけじゃないですか。自分の勝手な思い込みで人を責めてるだけですよ」

 

「じゃあなに?俺が悪いの?俺に謝れってこと?」

 

「謝る必要はないです。客観的な事実を言ってるだけなんで」

 

「じゃあ俺はどうしたらいいわけ?」

 

「べつに何もする必要ないですよ」

 

「なんか怖い。銀ちゃんめっちゃ怒ってるし、俺すごく責められてる気がする」

 

「それも思い込みです。全然怒ってないし」

 

わたしはこのときすでに、Kさんのお望み通り、一切笑わずに真剣な口調で話をしていた。

 

「俺が銀ちゃんに期待し過ぎてたってことだね。こういう話をもっと親身になって聞いてくれるって思ってた。俺の見当違い。銀ちゃんはその程度の人だった。そういうことだね」

 

わたしの頭は完全に冷めきっていて、ここまで言われたらこちらも本音を言うしかないと思った。

 

「じゃあハッキリ言いますけど、この学校はインチキの詐欺だと思うし、ここに通ってレイキヒーリングできるようになるとは一切思いません。それでもKさんが行くっていうなら、それは個人の自由ですから、行けばいいと思います。ただ、さっきも言った通り、こんなとこにわざわざお金払って通わなくても、人を癒やす力は誰にでもあると思いますけどね」

 

🤯🤯🤯

 

ここまでの間に、書いてはないけどたくさんのことをKさんに伝えたつもりだった。

 

まずひとつ、人類はみんな等しく霊力を持っている。

 

超能力やスピリチュアルを一切信じない。

 

霊感もなにもない。

 

そんな人にも、霊力はある。

 

もっともわかりやすいのが言霊だ。

 

想念が現実世界に影響するように、人間の放つ言葉にはさまざまな力が宿っている。ほんの些細な一言が誰かに致命傷をあたえるように、無意識に発せられた小さな言葉が人の命を救うこともある。言葉に魂が宿り、霊力となって相手に伝わらなければ、こんなことは決して起こり得ない。

 

手かざしヒーリング。

 

それも実在します。

ただし、真実はヒーラーを目指すような人が夢見るものとはまったく違う。

 

世の中のスピ詐欺被害者は、ヒーリングを勘違いしている。ヒーラーとクライアントは、医者と患者の関係じゃない。ヒーリングは相互作用によってのみ効果を発揮し、癒やしは治療と違う。

 

あなたはなぜ病気になったんですか?

 

あなたが癒やしたいと願う人は、なぜ病に苦しんでいるのですか?

 

答えはその中にある。

 

「はやく元気になって、また一緒に遊ぼう」

 

あなたが心の底からそう願い、相手の体に触れたとき、その想念はお互いの魂に深く刻み込まれ、永遠に消えることのない美しい記憶として、未来永劫受け継がれてゆく。たとえその先に死が待ち構えていても、たとえすべてを忘れ去っても、魂に刻まれた記憶だけは、永遠なのです。

 

大切なのは、あなたが心から誰かの回復を願い、心から願われたという事実のみ。それは紛れもない愛の証なのですから。

 

おあとがよろしいようでw

 

 

と、いつもならここで綺麗に終わるとこだけど、Kさんのことが尻切れトンボなので追記しておく。

 

その後、Kさんからの連絡はないし、わたしからもしていない。もう半年以上断つような気がするけど、Kさんならきっと元気にやってると信じてる。

 

あんな大変なこともクリアーしてきた人なのだから、わたしとのイザコザくらいでどうにかなることはないだろう。Kさんの健康と楽しい毎日を祈って👍

 

おあとがよろしいようでw

 

 

 

 

 

 

 

🤧実録!友人がスピ詐欺被害者になった日🤧Part2

女占い師の鑑定料が30分3万円と聞いたわたしは脊髄反射で「高っ!w」と叫んだ。それに対してKさんは、

 

「高いかな?そんなもんじゃない?」

 

平然とそう言い放つ。

時給6万円ですよ!?

Kさんの金銭感覚はすでにバグっていた。

スピ詐欺被害者には本当に多いんだけど、多くのインチキ詐欺師が法外な価格設定にしているため、本物の能力者による占いや霊視は高くて当たり前だと思っている。異常な価格なのに、どういうわけか妥当だと思い込んでしまったり。それに、

 

「あなたはこちら側の人間だから勉強するべき」

 

これも詐欺師の常套句。

信じやすい人をその気にさせて、セミナー、セッション、勉強会という名の金蔓地獄に叩き落とすのだ。

 

Kさんはもともと感受性が強く、思い込みが激しい人だった。そして、女占い師の言葉に簡単に乗せられてしまった。

 

鑑定料を「高っ!」と言った辺りから、わたしとKさんの電話の雲行きは、少しずつ怪しくなっていった。

 

🤔🤔🤔

 

「レイキヒーリングってどうやって習うんですか?師匠みたいな人の下について教えてもらうんですか?」

 

インチキ詐欺電波をビソビソに感じながらも、好奇心で訊いてみた。したらばどうも、専門学校みたいなところに通うらしい。

 

レイキヒーリングの専門学校って……🤨

 

Kさんは最初、学校の名前をわたしに教えるのをためらった。そのためらいがまた、わたしの猜疑心を増幅させる。

 

「本当にちゃんとした学校だと思うなら、言い淀む必要あります?教えてくださいよ」

 

食い下がるわたしに根負けし、名前を教えてくれたKさん。わたしはすぐさまパソコンを開いてその学校名で検索した。そして、公式ホームページを見た瞬間、

 

「うわぁ〜……インチキだなぁ〜……」

 

直感でそう思った。

こればっかりはなんとも言い難い。

そのサイトの色使いやデザイン、画面を通して伝わる感じにどうにも違和感を覚える。講師陣は顔写真つきで紹介されているので、ド直球の詐欺軍団ではないのだろうけど、ここで学べは誰でもレイキヒーリングを習得できるって、口八丁にもほどがあるだろう……。

 

しかも、Kさんは体験入学のコースを選んだのに、体験入学ですら目ン玉飛び出る価格だった。女占い師に金銭感覚をバグらされてるKさんは、それでも高いという感覚がなかったらしい。

 

値段が高すぎることを指摘したうえ、全然快く応援しないわたしに、だんだんイラつくKさん。

 

「銀ちゃんってこういうピリチュアルみたいなことに肯定的な人だと思ってたけど、違うんだね。なんか俺、悪いことしてるみたいな気分になるし、やる気になって頑張ろうってなってる人間に、あんまりそういうこと言うのやめて欲しい」

 

「1つの経験として通うのはいいと思うし、Kさんがレイキの力で人を癒やしたいっていうその志しは素晴らしいと思いますよ。ただ、お金払って学校に通えばレイキが身につくってのは、なんか違う気がします。正直、値段も高いし、個人的にはどうなのかなって思います」

 

そう。Kさんはわたしの根本的な考えをわかっていなかった。わたしは、スピリチュアルを心から信じるが故に絶対的な懐疑主義者で、ほとんどのことは1から10まで疑ってかかるタイプなのだ。

 

お金を払えば誰でも入れる学校に通うだけでレイキヒーラーになれるのなら、世の中誰でもヒーラーになれるし、世の中みんながヒーラーになったら、そこら中ヒーラーだらけで飽和し、お金だって稼げなくなる。やってることが真実なら最終的に破綻するビジネスモデルなうえ、講師も生徒もレイキが本当に使えるかどうかの証明もしようがない。

 

「もうこの話やめよ。こんな感じになるなら話さないほうがよかった。銀ちゃんさっきからずっと笑ってるし、なんか馬鹿にされてる気分になるわ」

 

ついにKさんは話すことを放棄した。

 

「馬鹿にしてないですよ。ただ、好奇心そそられるし、面白い話じゃないですか。だからその学校に通ってどうだったか、また報告楽しみにしてますw」

 

「ほら、またそうやって笑ってる」

 

ここからKさんによるわたしの人格攻撃がスタートする……笑

 

Part3へつづく

 

 

🤧実録!友人がスピ詐欺被害者になった日🤧Part1

その友人について詳細を書くことはできないので、大雑把に紹介する。

 

男性ゲイ、50歳。

Kさんとする。

 

わたしとKさんは、知り合って10年になる。

 

10年というと、かなり長い付き合いに感じるけど、距離やタイミングの問題から、実際は1度も会ったことがない。なので、オンライン上の友人ということになるけど、半年に1度くらいのペースで近況報告をガッツリ電話で聞いていたので、最低限、わたしはKさんの性格や気質を充分理解してるつもりだった。

 

Kさんは話術に長けていて、話はとても面白く、どんな悲惨な状況も笑いに変えられる楽しい人だった。しかし、そんなKさんの顔を初めて見たわたしの第一印象は、

 

「こりゃメンヘラの毛があるな……」だった笑

 

めちゃくちゃ面白いトークとは裏腹に、Kさんの目は驚くほど哀しみに満ちていた。声を聴いているだけでは到底気づかなかったと思う。

 

Kさんはさほど否定せず、

 

「凄いな、銀ちゃん一発で見抜いたな」と言った。

 

Kさんは複雑な家庭環境に育ち、わたしには想像もできない苦労をしてきたと思う。家族のこと、仕事のこと、持病のこと、同性愛者として生まれたこと、さまざまな要因がKさんに苦難をもたらしただろう。それでもKさんは、わたしの目から見て、押し潰されることなく、立派に人生を生きている人だった。

 

そんなKさんが、ある日突然、

 

「レイキヒーリングを習いにいく」

 

と言い出した。

 

手かざしで人を癒やすアレだ。

 

え?と思った。

わたしがスピ好きなのはKさんも知っていたけど、Kさんからスピ的な話を聞くのは初めてだった。

 

「どうしたんですか急に」

 

わたしが返すと、Kさんは事の成り行きを話してくれた。

 

🧝🧝🧝

 

Kさんはある日、いろいろ悩みがあるなら相談してみたらどうだと、古くからの友人にひとりの女占い師を紹介してもらったんだそう。

 

その女占い師は界隈でかなり有名らしく、本人以外絶対知り得ないことを霊視でパンパン言い当てるんだとか。Kさんは女占い師に何度か視てもらい、いろんなアドバイスを受けたそう。

 

そして、あるとき言われた。

 

「あなたは人を癒やす側の人間だね。勉強してみたらどう?」

 

Kさんはその女占い師と会って、ひとつの神秘体験もしている。恥ずかしながら、どういった体験だったか聞いたにも関わらず忘れてしまい、書くことができない。

 

とにも角煮も、Kさんはこうしてスピへの扉を開いたのだ。

 

Part2へつづく