銀次のブログ

日々の何気ない思考を書き連ねる

①🔮わたし達は何も失わない

人生に対する漠然とした不安や恐怖って、いったいどこからやって来るのかなって常々疑問に思ってた。

 

わたしは一般的な成人に比べると病的なまでの楽観主義者(考え無しとも言い換えられる)なので、未来を案ずることもほぼないし、過去はほっといてもどんどん忘れていく。この齢になると若年性アルツハイマーを疑うレベルである🤫

 

ひとつの感情を維持するのも難しく、ネガティブなものから役目を終えたようにどんどん過ぎ去っていく。べつに意識的に忘れようとしてるわけじゃない。何かしらの新しい情報を得ると、自動的に選別された無用な過去が消去されてくイメージ。脳の記憶容量が小さいだけと言われればそれまでの話だけど笑

 

なので、これまでの人生を振り返っても、嫌いな奴や憎たらしい奴はひとりも存在しない。一瞬一瞬で見れば、うっとうしい奴なんか山ほどいたような気もするし、これからもちょいちょい現れるだろうけど、基本的に彼等がわたしの世界に立ち入ることができるのは、本当にその瞬間のみ。継続してわたしの世界を穢すことは不可能だろう。なにせ、わたしはわたしひとりの時間が人生の中で最高に至福なのだから、他人の長居など許可するはずがない。

 

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こんな感じで、わたし自身は人生に対する不安がまったくもって無いに等しいんだけど、その能天気レベルは、バックパックを背負って東南アジア各国を旅する自分探し大好き青年とあまり大差ないようにも感じる。(自分探しって言葉、もはや死語に感じるなw)

 

で、本日のタイトルにもどる。

 

人生に対する漠然とした不安や恐怖の正体が、急にわかった。それは、

 

失うという概念

 

若さを失う。

お金を失う。

良好な人間関係を失う。

恋人を失う。友を失う。家族を失う。

やがては、自分の命も失われる。

 

みんな大切な何かを失うことを本能的に、潜在的に、畏れている。だから不安を抱く。そしてわたしが同世代の成人と比べて極端に子供じみてて、極端に能天気なのは、失うことに無関心なお陰だと気づいた。

 

この失うという概念は、脳の神経ネットワークみたいにあらゆる物事と複雑に繋ぎ合わされて相互作用している。簡単に説明したいけど、わたしの語彙不足、文章力不足もあってまったく言語化できそうにない。ひとつを説明するのに別の話をして、その話を説明する為にまた別の話をしないといけない無間地獄になってしまう笑

 

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たとえば世の中には様々な社会問題が存在するけど、その問題はいったいどこから発生して、なぜ解決できないのかって考えたら、答えはひとつ。

 

わたし達が解決しようとしてないから

 

となる。だけど、なぜその答えなの?そんなわけないじゃん。解決の為に自分の人生かけて頑張ってる人もいるのに!というのもわかる。わかるんだけど、結局その人達も含め、解決できない原因になってる。解決の為に争うことが、新たな問題を発生させる。さらに、一見解決したように見える問題も、根本的な解決になっていない場合がほとんどだったりする(こちらも別の形の不幸という現象を生み出す)。

 

地球人類の抱える問題は、どう考えても法律や道徳教育でなんとかなるレベルじゃないよね。社会問題含めたすべての問題となる現象は、物質の奪い合いに見えて、実際は失うという概念を植え付けられた分離された心から発生してる。そしてそれも、突き詰めれば支配者による洗脳が行き届いた結果と言うほかない。

 

うん。

自分でも何言ってるのかわかんないので、今回の記事もハイヤーセルフの自動書記ということにしておく笑

 

②わたし達は本当に失うものを持っていますか?に続くw

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