遥か彼方のブログにも書いたことがあるけど、スピの底なし沼にハマってる人の特徴として、
答えを何でも人に求める
というのがある。
本来なら与えられた知識や知恵をもとに熟考し、自分なりの答えを導き出すべきところを、他人にお金を払って正解を得ようとする。何万円もする石やクリスタルでなんとかしようとする。
おかしいと思いませんか?
あなたはお金で問題解決するためにわざわざこの世に生まれてきたんですか?
🤞🤞🤞
🤙🤙🤙
唐突ですが、わたしの体験を聞いて頂きたい。
わたしはこれまでの人生で何度も同じ過ちを犯してきた。(過ちというほど大袈裟じゃないかもしれないけど、一応それなりの後悔をともなう経験)
それは、
怒りに翻弄されて自分を制御できなかったこと。
もとが温厚なのでわたしが怒ったところでたかが知れてるけど、それでも人を傷つけたと思う。傷つけたという自覚があり、さらに、その先にあった未来は、わたしの望みとは真逆の形になった。
当然だ。怒りは自分が傷つくことへの防御反応なのだから、自分が傷つく恐怖から逃れるために相手を攻撃して、しあわせな結末が用意されるはずがない。そこにあるのは、後悔と懺悔を抱えたままこの先も生きていかなければならない現実だけだ。
このとき、わたしが本当に望んだ未来は選択できたはずだった。今すぐにとはいかなくても、時を経れば必ず望む現実を得られたに違いない。なのに、その可能性を自分で潰してしまった。
傷つく恐怖に全身を支配され、相手のことなど少しも考えられなかった。言うこと成すことすべて利己的で、思いやりのカケラもない。もしもあのとき、ほんの少しでもいいから冷静になって、相手の立場にたって物事を考えられたなら、未来はわたしの望んだ通りになったに違いない。
だけどわたしは、望みもしない真逆の未来を選択する羽目になった。その原因はひとえに、他人を思いやる気持ちがわたしに足りなかったからだ。
これは今でも続いている。
もしかすると生涯をかけたカルマかもしれない。
わたしの真の問題は、自制心を失う怒りに翻弄されることではなく、他人を思いやる気持ちが欠けていることだった。
わかってるのにね……
カルマの浄化にはまだ時間がかかりそう笑
🥺🥺🥺
🙄🙄🙄
ここからはたとえ話。
現代医学ではもはや手の施しようがない末期ガン患者A、56歳男性がいる。
Aの家族はAを救うため、藁にもすがる思いで霊能者のもとを訪ねた。霊能者は言った。
「Aさんを病から救うにはこの30万円の水晶を病室に置き、邪気を祓うための特別な祈祷が必要です。こちらは1回50万円になります。高額と思われるかもしれませんが、値段は神からのお告げで決まります。なにより、命に比べれば安いものではありませんか」
Aの家族は半信半疑ながらも、言われるままに水晶を買い、祈祷を頼んだ。
数日後、Aの容態は悪化した。Aの家族は霊能者を非難したが、霊能者はさして悪びれる様子もなく、
「あなたの父方の先祖が問題ですね。先祖供養をしっかりしていない為にAさんはガンになり、あなたがた家族もこうして苦しむ羽目になっている。わたしに先祖供養を任せれば、すぐに効果があらわれますよ。先祖供養は1回30万円ですが、前回のこともありますので、特別に10万円で施してさしあげましょう」
Aの息子は反対したが、Aの妻は一縷の望みをかけて霊能者に先祖供養をお願いした。頭の片隅では馬鹿げていると知りながら、それでも、わずかな希望にすがりたかった。
Aが死んでしまうなんて考えられない。
神様、どうかAを助けてください。
私たち家族にはAが必要です。
私はAがいなければ生きていけません。
彼のいない人生なんて考えられない。
神様、どうか、彼を救ってください……
二週間後、Aは息を引き取った。
END
🤯🤯🤯🤯🤯🤯
もちろんこれはバッドエンドだ笑
理由は③でお話しようと思うw