②🔮わたし達は本当に失うものを持っていますか?
突然ですが、
衣食住、すべてを失う。
それでも皆様、生きていけますか?
はい。もちろん生きていけます。
素っ裸でその辺の野草を食って、
雨風は自然の洞穴でやり過ごす。
寒ければ野草を服の代わりにし、
汚れた身体は小川で洗い流せばいい。
文明の利器をおおよそ失っても、
地球が与えてくれる大自然の恩恵を受け、
他の野生動植物とともに、
皆様へっちゃらで生きていけるでしょう。
もちろん、ささいなことで死ぬかもしれない。
道端の砂利で足裏が傷つき、そこから細菌に感染する。食中毒。正体不明の病気。猛毒を持つ昆虫類、爬虫類、寄生虫、大型肉食獣が闊歩する世界を、丸腰で生きる。人間から文明、科学の力を奪えば、その辺の野良犬ギャングにも太刀打ちできない非力な存在になってしまう。
だけど、死なない。
わたし達が随分大切な物だと思い込まされてる衣食住を奪われても、生きられるのである。人間は裸でこの世に誕生し、もともと持ってるのは命のみ。命は神の摂理によって誕生と死滅を繰り返してるだけで、失うという概念に当てはめるなんておこがましい。
裸で誕生した人間は、いつの間にか服を着せられ、栄養のある食事を与えられ、あらゆる外敵から身を護る家屋を与えられ、それが当たり前になり、やがて、それらを失うことに対する不安と恐怖を刷り込まれていく。詰まるところ、
わたし達は本来、失うものなど何ひとつとして持っていないのである。
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お金を失う
貨幣制度による大洗脳の賜物。
現代人が最も恐れるのはお金を失うことじゃないでしょうか。
明日からあなたは無一文になります
それでも皆様、生きていけますか?
はい。モチのロンで生きていけます。
今の世の中だと、道端で寝転がってる薄汚いホームレスになるかもしれない。惨めですか?悲惨ですか?絶対嫌ですか?じゃあ、死にますか?笑
きっと死なない。
否、死ぬ人もいるかもしれない。
しかし、それは解釈の問題であって、お金を失ったから死ぬわけじゃない。お金が無いと生きていけないと思い込んで死を選んだだけだ。
お金と紐づけられた自尊心、人間関係、社会的地位、権力、安心感など、はなからただの洗脳による幻想に過ぎないのに。
じゃあ、お金が無いのにどうやって生きていくの?と訊かれれば、衣食住を失ったときの対処法で充分に生きられる。当然、生存率は低くなる。だけど、無一文になっても死ぬわけじゃない。その状態を幸と不幸、どちらで捉えるかは、わたし達のマインド次第である。
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大切な物を失う
たくさんの思い出が詰まった宝物のような物質を、皆様もひとつやふたつ、持ってるんじゃないでしょうか。手元に寄せ集めて数を数えたら、大変な量になる人もいるでしょう。
それらすべてが、
次の瞬間消滅します
それでも皆様、生きていけますか?
はい。クソほど生きていけます。
天寿をまっとうできます。
一切問題ありません。
むしろ全部捨てたほうが
清々するくらい生きられます!笑
百歩譲って物は失ってもいい。
だけど、大切な記憶は失いたくない!
と仰るかたもいるでしょう。
しかし、忘れられて困るような出来事、物質は、この世に存在しません。あなたの大切な物が他人には無価値な物にしか見えない場合もあるし、あなたの精神を呪縛している恐ろしい過去の記憶があるとしたら、そんなものはさっさと消滅したほうがいい。
美しく素晴らしい、愛に満ちた記憶は、御安心あれ。生きてるあなたが失ったと錯覚しても、それは魂にしっかりと刻まれて、永遠に消えることはありません。
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命を失う
仏教の世界では、
愛するものとの別れの苦しみを
愛別離苦という。
わたし達はなにかを愛し、その愛に満ちた日々が、かけがえのない幸福をもたらしてくれることを知った。
そしてお釈迦様は、
愛が苦しみを生むと説く。
愛する気持ちが強ければ強いほど執着を生み、失ったときの哀しみは計り知れないものになる。限りある命。誰しもいつか、愛するものと別れなければならない日が来る。そのときわたし達は、彼らを「失った」と認識していいのですか?
わたしはそうは思わない。
一緒に過ごした時間も、与えてくれた愛も、永遠に消えることはない。いつか思い出すことが出来なくなっても、二度と触れられなくても、たとえ今この瞬間、悲しみの涙が止まらなくても、その涙は、あなたが誰かを愛し、愛されたという確かな証じゃないでしょうか。
わたしも、あなたも、
何も失ってはいない。
わたし達はいったい
何を失うと思い込んで不安や恐怖に駆られているのでしょうか。
③奪われ、失い、職場にてイラつく。へ続く
