最近わたくし、職場でブチ切れた案件がありまして、そのことはまたYouTubeライブで話そうかなって思うんだけど、ブチ切れた相手のメタ認知がほぼゼロだったので、本日はメタ認知について書いていく。
小難しい話抜きにメタ認知がなんなのか説明すると、俯瞰視点にいる自分をもう1段上の視点からさらに俯瞰すること。ダブル俯瞰視点って感じ。最低でも3人以上の自分が必要になる。
目の前の出来事を直に感じて思考している自分と、その自分を俯瞰している自分、さらにそれら全体を包括して俯瞰する自分(すでに個の概念は消失)。これだけ俯瞰できれば通常、承認欲求と自己顕示欲は消滅する。他人が羨ましいとか妬ましいなんて微塵も感じないし、劣等感や優越感も同時に消滅。他人と自分との隔たりがなくなることで、何も感じない空っぽ、完全な虚無になる。
また、自分や他人がなんのために嘘や誤魔化しを使うのか、なぜ自分で自分を欺き続けるのかも簡単に理解できるようになる。
その状態にあるときの感覚を言語化しようとすると難しいけど、直感的に、ほぼ瞬時にすべてが理解できる。なので自分の嘘も、他人の嘘も、一切通用しなくなる。誰も騙せないし、誰からも騙されない。
ここまで読んで疑問に思う人もいるでしょう。そんな俯瞰視点を持ちながら、なぜわたしは職場の人にブチ切れたりするのかと。
答えは簡単。真のメタ認知は、ほぼゾーン状態に等しく、簡単に辿り着けるものじゃない。すべてを包括して俯瞰できるあの状態は、たぶん高次元の存在から与えられるインスピレーションなんだろう。
なので、普段からいとも容易くそうならない。メタ認知といえど、わたしにあるのはせいぜい通常の俯瞰視点のみ。愚かな人類そのものであり、精神性は地の底に落ちている。ヴィーガンと食生活の改善によって少しはマシになったけど、足元がぐらついてて、いつどう転ぶかわからない。一度転んで怪我でもしようものなら、治すのに相当な胆力が必要になるだろう。
ま、とは言え、せっかくだからわたしがメタ認知状態のとき、もとい、高次元からのインスピレーションによって与えられた内容を、言語化できるかぎり書いていこうと思う。
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近頃わたしは、植物の存在について考えることが極端に増えた。ヴィーガン生活に入ればそうなるのも当然で、食べるものがだいたい野菜か、植物由来のものになるから。そして、彼らから多大な恩恵を受けている今、ハッキリとわかったことがある。
この地球上でもっとも崇高な生命体は、植物であると。
もしわたしたち人類が誰かから教訓を学ぶとしたら、格言めいた言葉を紡いで悦に浸ってる愚かな人間なんかじゃなく、大地に根を張り、ただそこに、あるがままで存在し、生まれてから死ぬまでのあいだ、そして、死してなおも、他者のために恵みを与え続けてくれる植物からだろう。
まさに彼らは、命を分け与えてくれている。
これほど慈愛に満ちた気高い存在は、植物以外にない。
ときどき考える。わたしたち人間はいったい何のためにこの世界に存在してるんだろうと。環境破壊、戦争、殺戮、嘘、欺瞞。ただひたすら他者から奪い、奪われるだけの生涯。他人から徹底的に奪っておきながら、その口で愛や平和を謳う愚かさ。己の邪悪さに気づきもしない偽善者。承認欲求と自己顕示欲のためならどんな悪辣な行為も厭わない。虚構の世界で嘘に嘘をぬり重ね、拝金主義で知性の欠片もない。
誰もが皆、自分の言動が何を意味するのか理解できなくなっている。今の人類が創り出しているのは、まさにメタ認知の欠如した混沌の世界。どんな詐欺行為も平然とまかり通るし、異常で狂ってる。
地球にとって、他の生物にとって、人類のような愚かな存在が本当に必要なんだろうか。そんな疑問が何度も頭をよぎる。いっそ滅亡したほうがいいんじゃないかと。この地球上から人類が駆逐されたら、どれだけ豊かで美しい世界になるだろうと。
しかし、高次元の存在はそれとは違う人間の一面を教えてくれる。メタ認知のゾーンに入ったとき、思考はほぼ空になり、虚無に等しくなる。そのとき、ただ一点、植物の存在が浮かび上がる。
彼らが教えてくれるのは、他者のために生き、他者のために死んでいくということ。たとえ身体が朽ち果てても、大地にその身を横たえ、養分となり、新たな生命の誕生に貢献する。奪うのではなく、与え続ける生涯。
虚無だと感じていた心は、虚空だった。
彼らがそのことを気づかせてくれる。思考は無限大に広がり、強烈なエネルギーを感じる。そのエネルギーに名前があるとしたら、愛にほかならない。人間が創り出した虚構の愛とは、まるで違う。真実の愛は無限のエネルギーで世界を照らし、すべてを包み込む。
そしてわたしたち人間、個々人ひとりひとりの中に、その無限大のエネルギーが眠っている。誰からも、何者からも奪う必要はない。わたしたちは自らの意志で、自らの想念で、混沌を打ち破り、嘘と欺瞞に満ちた虚構の世界を変えられる。
そしてこの精神は、この地球上でもっとも気高く、愛に満ちた植物からしか得られない。たとえ彼らのスピリットを感じることができても、動物を殺して食べ続ける限り、悪魔につけ入られ、簡単に思考を乗っ取られてしまう。恐怖と不安で拝金主義に陥り、他者から奪うことになんのためらいもなくなる。
今あなたがここまで文章を読んだなら、それこそがわたしにとって希望であり、この世界が本来あるべき愛の世界に変わる兆しだと感じられる。
アスファルトを突き破って芽吹く名もなき雑草の中に、無限大のエネルギーがあることを忘れないでください。
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などと、ちょっとドラマチックに書き過ぎた感ありますが、そもそもこのブログはハイヤーセルフの力を借りて書いてるので、誇張表現は致し方なしかなとw
一人でも肉食の害に気づいて、少しずつでもやめていけるよう祈りを込めて。
おあとがよろしいようでw