銀次のブログ

日々の何気ない思考を書き連ねる

マンデラエフェクトもたいがいにしとけとw

マンデラエフェクトとは

――以下、Wikipediaより引用――

マンデラ効果(マンデラこうか 英: Mandela Effect)とは、事実と異なる記憶を不特定多数の人が共有している現象を指すインターネットスラング、およびその原因を超常現象や陰謀論として解釈する都市伝説の総称である。当時存命中だった南アフリカの指導者ネルソン・マンデラについて、1980年代に獄中死していたという記憶を持つ人が大勢現れたことに由来し、それ以外の事例に対しても広く用いられている。

――引用終了――

 

要するに、過去の記憶と現在の事実がどう考えても異なっているのをマンデラエフェクトっていうんだけど、最近これが頻発してる気がしてならない。わたしがここ最近で一番驚いたのは、心臓が体の中心に位置し、さらに胸骨で守られているという事実。

はっ!?人体解剖図やその他のどんなイラストCGでも心臓って左に書かれてたし、そもそも胸骨なんて無かった気がするんだが!?

嘘やろ!?と思いながら心臓があったはずの位置に手を当てると――

まったく音がしない!!!

以前は左胸に手を当てるとドクンドクンと脈打つ心臓の鼓動を感じられたのに、今は音沙汰なし!じゃあ真ん中に手を当てたらどうなのってなるけど、真ん中に当ててもまったく何も感じない🤯否、どうなってんだよ笑

こりゃ完全に世界線移動しちゃってるよねってことで、改めてマンデラエフェクトについて考えたとき、ひとつの結論に行き当たった。たぶんわたし達は、時間が未来から過去に流れるという思考法と同じく、思い描いた未来がすでに存在している世界線を、決断と行動により次から次へと渡り歩いているんじゃないかと。

となると、過去現在未来は同時存在してるから、一人の人間に対して無限大の世界線が用意されてることになるけど、この宇宙全体とあらゆる生命体の無限に近い可能性を同時にシュミレートできるくらいのコンピューター、普通にあるでしょう。この世が誕生してから途方もない時間が過ぎていれば。たとえば、創造主なるものの誕生からすでに数兆年の月日が流れてたり。ま、知らんけど笑

とにもかくにも、過去の記憶と現在の事実が異なる=世界線を移動している=望んだ未来が存在する世界線が必ずある=人生はある程度意ののままにコントロールできる!という結論でして、今日も今日とて、ニンマリしながらあれやこれやと未来を思い描くわたくしでした。

 

もちろんながら、世界線を移動するためには想像し、強く願い、世界線を越えるための一歩(何かしらのアクション)が絶対的に必要なのを忘れちゃいけませんね。並々ならぬ勇気を持って行動したとき、不可能が可能になったり、信じたものが具現化するのかも🥹

 

おあとがよろしいようでw

 

自分へのご褒美という洗脳思考

牛豚を食べなくなって1年以上経つ。厳密に言うと自分で肉を買わないだけで、外食と友人の手料理、エキスなんかはOKにしてるから、まったく食べないわけじゃないし、ときどき誤って牛肉コロッケとか買っちゃったりしてるんだけど、ナンダカンダで牛豚断食継続中。

それに、過去にはお菓子、カップラーメン、ジュース断食を2週間敢行したこともあった。こっちは肉と違って我慢するのが大変な分、劇的な効果があった。まずは味覚が研ぎ澄まされる。食材の味がより鮮明にわかったり、体調も良くなるし肌も綺麗になる。これだけの健康効果がありながら継続できなのは、わたしを含め、多くの人が幼い頃から毒漬けにされてきた重症の中毒患者だから、と言いたいとこだけど、単に自分の意志が弱いだけですかね🥹笑

そんな前置きは置いといて、今日のテーマである「自分へのご褒美」について書いていきたい。

 

つい先日、職場の先輩に「銀次さんは自分へのご褒美になにか買ったり食べたりします?」って訊かれたんです。で、わたしは正直に「自分へのご褒美という概念自体持ったことないので、一切ないです」と答えた。先輩が「こいつまた妙な返答しやがる」といった顔で笑うので、わたしは本来なら必要のない自己弁護をする羽目になった笑

「本当に欲しいものは普段から我慢せず買ってますし、美味しい物って言っても、そもそも食べ物自体に興味がないんですよね。それに、普段食べてるものが全部自分の食べたい好きなものばかりだから、それ以上の褒美を望んでない感じです。たとえば夜ご飯にカケうどんとか、他人の目には質素に映る食事でも、自分は大満足で食べてるので……😅」

先輩は納得したんだかしてないんだかわからない微妙な半笑いで「やっぱ銀次さん変わってますねw」と言って話を〆た。しかし、この質問って、たぶん先輩自身が自分へのご褒美について語りたかったんじゃないかと思い、わたしの方も訊いてみた。先輩は自分へのご褒美になにかしてるんですか?と。そしたら、

「毎月給料日になると嫁と一緒に美味しいもの食べに行こうって話になりますね〜。1ヶ月頑張って働いたご褒美に」とキタ。聞いた瞬間、

「労働と消費の奴隷地獄スパイラルキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」

と心の中で叫んだ。

自分へのご褒美という文言、否、その概念自体、完璧な呪詛!笑

だって、毎日あくせく働いて、疲れ果てて、やっとこさ得た金で美味しいものを食べる。もしくは、欲しかった物を買う。そうやって手に入れた美味しいものは口から入った数時間後にはウンコになるし、欲しかったものはやがてただのガラクタと化す。そんな物のために、わたし達は毎日嫌な思いしたり、我慢を強いられて働くのですかと。否、欲しかった物を手に入れた一瞬は脳内麻薬的なホルンが分泌されてハッピーかもしれない。しかし、そのハピネスを継続的に得るためには働き続け、消費しつづけなければならない。言うなれば「消費中毒」。これが地獄じゃなくてなんだというんでしょう笑

そして、最も恐ろしいのが、大多数の人類が「人生とはそういうものだ」と刷り込まれ、なんの疑いもなくひたすら小銭を求めて働き続ける。強欲な人間は人から搾取し、騙し、殺してでも金を手に入れようとする。そこまでして手に入れた大金でさえ、世界の富の99%を手中に収めるキチガイ大富豪からしたら、小銭に群がり歓喜する憐れな猿にしか見えないだろう。

わたし達の人生は、こんなことの為に消費されていいのだろうか。死ぬまで守銭奴売国企業の手のひらで踊らされる運命なのか。ご褒美の為に頑張って働いて、美味しいものを食べて病気になって、医療費でも消費活動を促されるなんて、ウルトラ級の地獄ではないですか笑

自分へのご褒美って、それ、本当にご褒美ですか?

ご褒美だと思い込んでるだけじゃないですか?

 

おあとがよろしいようで(雑な終わりかた笑)

 

残り寿命1時間思考法!

今朝、通勤電車が鬼のように混んでいたので、二駅目で降りて次の電車を待ったんですが、次の電車も畜生レベルに激混みプンプン丸で、東京の馬鹿野郎満員電車にはほとほと呆れ権左衛門でございました🖕笑

否、スシ詰めの電車の中で、わたしの前に立つ女性の髪がサラサラ艶々の美ロングストレートだったんだけど、この美しいヘアーが前リュックの胸元に組んだわたしの両手に当り、非常に不快だった。美しさと不快感の融合。

「満員電車に乗るときは髪の毛全部前に持ってくか縛れよ」と内心突っ込みながら、頭の片隅では「こんな綺麗なストレートヘアーがわたしの手に圧迫されて変な癖でもついたら大変じゃないか」と心配している。その時、今日のタイトルでもある

「残り寿命1時間思考法」

が、天啓のように降りてきた。以前も似た内容のブログは書いたんだけど、改めてこう考える。

もし1時間後に必ず死ぬことがわかったら、目の前で起きている出来事と未来予測に思い悩むほどの価値はあるのか。

満員電車の不快感、女性の美しい髪、その髪を自分が乱してしまうかもしれない心配及び、仕事、人間関係、当たり前の日常、その先にある何の約束もされない未来。

すべてが命を前にした途端無価値になる。

1時間後に死んでしまうのに、満員電車の不快感なんかどうでもいい。女の髪が綺麗だろうが乱れようが、知ったこっちゃない。仕事で成果を出す、ミスをする。褒められようが貶されようが1時間後には死ぬ。欲しい物を手に入れるために頑張っても、認めてもらうために必死になっても、残り寿命、1時間。今日の天気、明日の天気、日本と世界、これから地球で起こるありとあらゆる事象が、もう何の価値もない。

では、この先何十年も生きられるとしたら、これらに価値はあるんだろうか。否、あると思い込んでるだけで、やっぱり価値なんてない。強力な洗脳によって、命にも代えがたい価値がそれらにはあると思い込まされてるだけだ。

ここまで考えたのち、改めて低空飛行の俯瞰状態に入ると、この満員電車に同乗する人達、職場の人達、私生活の人間関係、不確かな未来予測。あらゆるこの世の出来事、生命が、まるで同志のように思えてきた。人類みな兄弟とはよく言ったもんだ。どこの誰だか知れない美しい髪の女、背後から前リュックを押し付けてくる男、クソ満員電車で勉強したりスマフォゲーしてる奴ら、みんな慈しむべき仲間なのだ。

1時間後にわたしが死んだあと、彼らはこの地球という星の上で、様々な洗脳と恐怖、不安と闘いながら生きていく。わたしはひと足お先にイチヌケしちゃうけど、同志諸君よ、どうか闘いに破れることなく、力強く人生をまっとうしてください。

ザーメン🙏

 

おあとがよろしいようでw

 

 

 

🥹40過ぎたら滅茶苦茶性格悪くなる件🥹

まず、久々のブログが40過ぎたら滅茶苦茶性格悪くなる件についてなのをお許しくださいませ……笑。否、ほんとの話、30歳の自分と今の自分を比べたら、性悪度が雲泥の差。仏の銀次と言われたこのわたしが、今じゃ毎日阿修羅顔で通勤電車に揺られている……笑。f:id:ginji9000:20220821114805j:image

理由は明白で、ただひとつ。

「他人の見え透いた欺瞞、詭弁がいちいち鼻につくようになったから」

自己を正当化するためのインチキな論理や嘘が通用すると思っている浅はかさ。くだらない承認欲求や肥大化した自尊心、見栄のために繰り返されるペテン行為。30歳の自分は微かにしか感じなかったこれらのことを、40歳の自分は数百倍の感度で察知している。もちろんそれは、他人の言動に対してだけじゃなく、自分自身にも強く感じるようになった。

言葉を放った瞬間「うわ〜、今の発言、承認欲求丸出しだったなぁ……」と、羞恥に駆られ、内心突っ込むことがある。自惚れ甚だしく、他人を顧みない自分本位な思考のために、知らぬ間に誰かを傷つけたのではと内省することも多々。果たして、自分の中にある支配欲に気づいたときの薄ら寒さ……などなど。これって実は、クソボロに糾弾してきた「自己愛性人格障害」の猫被り版「カバート・アグレッション(隠れ自己愛)」なのではと、戦々恐々な次第。

それにしても、この世の人間達は、自分も含め、いったい何と戦っているのだろう。f:id:ginji9000:20220821133221j:image

誰かのことを馬鹿だ阿呆だと罵ってまで守りたい信念に、どれほどの価値があると思っているのだろう。この世に存在するすべての価値基準が、何者かによって刷り込まれた盛大なペテンだというのに……。今の価値観では他人との争いを避けて通れない。いがみ合い、憎しみ合うための価値観が、まるで正義の面構えで世に蔓延っている。そして、欺瞞と詭弁で構成された虚構の社会の中で、何度生まれ変わっても生老病死の苦難を味合わされる。

人間が本当の意味で霊性を高め、スピ的アセンションを迎えるためには、やはり異星人の介入なくしては……などと言ってたら、洗脳済みの良識人から電波扱いされそうなのでやめておく笑

兎にも角にも、六道輪廻において、今わたし達が生きているこの世界は、どう考えても人間道ではなく「阿修羅道」に思えてならない今日このごろでございマウス🐁f:id:ginji9000:20220821135942j:image

おあとがよろしいようで笑

🍃youtubeセラピー🍃

否、とんでもない時代になったと思う。誰もが自由に、自分の意見を全世界に向けて発信できる。国によっては規制もあるだろうけど、日本は公序良俗に反するものでなければ正邪曲直、自由に語ることができる。Twitterは手軽だし、Instagramも中毒性がある。昔はニコ生が凄かったけど、今の主流はやっぱりyoutubeだよね。

今回のタイトル通り、実はyoutubeには癒やし効果がある。その治癒力は絶大で、些細な悩みなら一発で吹き飛ぶし、長期に渡る悩みにも即効性を発揮してくれる。まさに薬のむよりyoutube!なのだ。とはいえ、この癒やしを得るには一つだけ条件がある。それは、

あなた自身がyoutuberになって胸の内を語ることだ。

カメラに向かって心の中の様々な事柄、想いを、好きなように語る。たったそれだけでいい。口から放たれた言葉は空中で浄化され、同時に邪気も払われる。しかも、対人でないことでさらに効果は倍増する。何故なら、現実世界で誰かに同じ話をした場合、聞き手は完全な聞き役になりきれず、自分の主観、価値基準フィルターを必ず間に噛ませてしまう。そうなると、あなたの話は歪曲した捉え方をされたり、見当外れな突っ込みを入れられたりして滞ってしまう。youtubeの治癒効果を最大限で享受するには、やはりカメラの前で一人で語ることが不可欠なのだ。

今これを読んでいる人の中で、一度でもyoutubeに動画投稿をしたことがある人なら、きっとわかると思う。どんな悩みも、どんな愚痴も、話すと浄化されるのだ。カメラに向かって話すことは、誰かに向けて語られるようであり、その実、鏡に向かって話してるのと同じで、言葉はすべて自分に反射し、無意識下でメタ認知を高めてくれる。自分でも気づかなかった自分の本当の気持ちを知ることができる。

なので、もしも語る内容に欺瞞を含めば、その瞬間、治癒効果は激減する。偽り、見栄など、自分の心に嘘を吐けば、言葉は邪気になって充満し、見ている人にも伝播する。そんな諸刃の刃的な側面を持ちつつ、それでもyoutubeは多くの動画投稿者の心を浄化に導いていると思う。こればかりはやった人しかわからない。投稿主と視聴者の間には、思いのほか隔たりがあるのだ。なので、もしも全世界の皆さんがyoutuberになって、欺瞞のない真心をもって語る日がくれば、人類は確実にアセンションできるのではないかと思う今日このごろなのだ。

 

おあとがよろしいようでw

 

🪦芸能人の死を利用する似非スピリチュアリスト🪦

ここぞとばかりに著名人の死を利用するスピリチュアリストがいる。誰かが自殺するたびに彼らの名前をサムネやタイトルに入れ、死人に口無しなのをいいことに、あることないこと好き勝手語る動画を即座にアップ。再生数と利益のためなら手段を選ばない辺り、ゲスなyoutuberと価値基準が同じで呆れてしまう。

わたしはそんなスピリチュアリストに心酔し、神格化してるような信者にも呆れ返っている。悩みや不安の原因と真摯に向き合わず、詐欺師の囁く耳障りのいい言葉に洗脳され、現実逃避し、逃げている。誰から逃げてるのかって、自分自身から逃げているのだから、もちろんその苦悩は永遠に昇華されることはない。未来永劫、いつまでも人の言葉に騙され、搾取され、低次元に堕ちていく。

この負のループから抜け出す唯一の方法は、

「自分を信じる」

という一点しかないとわたしは思っている。

スピリチュアリズムの定説通り、魂は生まれる前から自分という器を選択し、自分だけの物語を携えてこの世に誕生するのなら、わたし達はどんな困難にも打ち勝つ力を自分の中に持っているはずだ。人間関係の悩み、愛する人を失う悲しみ、病に伏すこと、未来への漠然とした不安、死への恐怖、否、すべて乗り越えて行ける。わたし達にはその力がある。たとえ自死を選ぶ結末になっても大丈夫。心配しなくていい。そんなことは、永遠とも思える魂の修行の中で、ちょっとした寄り道程度に過ぎない。失敗しても必ず取り戻せる。何度だってやり直せばいい。だから今は、自分を信じる。それだけでいいんじゃないか。

過去にも書いた記事を載せて終わりに。

 

スピリチュアルの観点① 2020年からの未来はとんでもない像🐘芸能人の死について - 銀次のブログ

 

追記

「あなたはどうなの?」

もしもそう訊かれたら、

「あたしゃあ現実逃避しまくりの逃げまくリングな人生の真っ只中にいやす!w」

と答えるだろう笑

 

おあとがよろしいようでw

 

 

😀今夜は数年ぶりの友人と再会予定😀

今朝、通勤途中にあるゴミ置き場で一羽のカラスを見かけた。周囲にはゴミが散乱し、町の景観が著しく損なわれている。ゴミを漁っていたカラスは、紫外線領域まで知覚できる優れた眼でわたしを一瞥すると、ふわっと浮き上がり、口に何か咥えたまま駐輪場の屋根に飛び移った。

「お前は確か、犬や猫より知能が高いんだっけ。人間で言うと3歳児レベル。人間の3歳って、まあまあ言葉喋るよな。お前、今どんなこと考えてんだよ」

わたしは心の中で呟きながら、彼の咥えている物に注目した。どうやらウインナーらしい。カラスは屋根で静止したまま、人間の5倍ある視力でわたしを観察している。

カラスは人間にとってゴミを荒らす嫌な鳥だけど、カラスからすれば、ただ探し当てた餌を食ってるだけなんだよな。生存本能に従って生きてるだけで害獣扱いされたんじゃあ、お前らもたまったもんじゃねえな。「まあ、ゆっくり食事を楽しみなよ」カラスにちょっとした同情心を抱きながら、わたしはその場をあとにした。

ごくありふれた日常の中にも、こんな些細な発見がある。立場や視点が変わることで見えてくる物事の多面性。種族が違うカラスと人間でこれなんだから、対人関係で軋轢が生まれるのも至極当然。わかりきったことなのに、いつも忘れてしまう。わたしは残された人生の中で、主観による勘違いや失敗をあと何回繰り返すのだろう。いい加減そんなモノから解脱したいけど、天竺までの道のりはまだまだ遠い……笑

 

🦅🦅🦅

 

「仕事で東京に行くから、久々に会おう」

一昨日、古い友人から突然連絡があった。前回会ったのが6年くらい前だから、本当に久しぶりだ。20歳から26歳の6年間じゃ、さして見た目に変化はないけど、36歳から42歳の6年間じゃあ、かなり違ってくる。ハゲも進行するし筋肉も落ちる。肌も衰えシワも増える。彼はわたしより6歳くらい若かったはずだから、ギリギリ老け込む前だろうか。にしても、突然会えることになって本当に嬉しい。この機会を逃したら、次はもうないかもしれないから。

奇遇なことに、先々月は実姉に7年ぶりに再会した。それも、向こうからわざわざ東京に来てくれたのだ。こうなってくると、嫌でも42歳死亡説が頭をよぎる。人生最後の年だから、神様がサービスで実姉や旧友に会わせてくれてるんじゃないかと笑

出会って別れてすれ違って

ほんと、人生ってばそれの繰り返しに過ぎないんだなあ笑

 

おあとがよろしくないけど書き疲れたのでこれでw