わたくし銀次は、天地神明に誓って、SNSに嘘を書いたことはございません。(少しだけ大袈裟に書くことはあります🤏笑)
そんなことより、これから先の10年は、我々人類にとって大転換期となるらしい。地球のカルマ、人類のカルマが、浄化のためにいっせいに噴き上がり、世界はこのとき、混沌と化す。
あらゆる既成概念は打ち砕かれ、過去に囚われる者は否応なく置き去りにされる。二極化が進み、霊性の格差は益々拡がる。低次元に留まることを潜在意識で選んだ魂は、未曾有の苦難に襲われるだろう。アセンションの道を選んだ光の魂でさえ、その脅威に曝されることになるのだから。地球、そして人類が、この大いなる試練を乗り越えるためには、どうすればよいのだろうか。
これが俗に言う「銀次の大袈裟」である笑
……🥴
ところで皆様、SNSで嘘をついたことはありますか?荒肌を隠すために美肌フィルター掛けまくった自撮りは、嘘になるのでしょうか。それならわたしも、前言撤回。嘘つきでございます笑
にしても、ネットが普及し始めた20年くらい前に比べて、驚くほど嘘記事増えたよね。金儲けのための嘘は昔からいくらでもあったけど、ここ数年のSNSは、洗脳、思考の誘導、自己顕示欲、承認欲求を満たすための嘘、価値観の押し付け、そんなもので溢れかえっている。
人畜無害な一般人まで、注目されたいが為に平気でホラッちょ、迷惑行為をやってしまう大変な時代である。もちろん個人的に「こりゃあからさまに嘘だな」と思った記事でも、単なるわたし個人の主観なので、事実の可能性はある。
そう。問題は嘘か本当かではなく、多くの人が誰かの話に踊らされて、一喜一憂してることなんだよね。スピリチュアルの観点①でも書いたけど、出来事に対して意味を与えてるのはわたし達自身の主観で、本来は良いも悪いもない。正解はないのである。なのに、人間はどうしても感情で答えをだそうとする。
その結果が、ポテサラ問題である笑
皆様はあのポテサラ問題を、どう受け取りましたか?知らない人の為に当該Tweetを引用。
《実際のTweetの引用》
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら
フォロワーさんのRTでこのTweetを知り、初めて読んだわたしの感想は
「クソほどどうでもいいなw」
だった🤣
そしてこのTweetは、
思考の誘導、価値観押し付けの例として、最高に顕著なのである。
まずもって、高齢の男性が完全に悪者として印象づけられる書き方をしている。発言内容、サッサと立ち去る、惣菜パックを手にしたまま俯く幼児連れの女性、大丈夫ですよ、と念じるTweet主。完璧なシチュエーション。そのまま読めば有無を言わさぬ勧善懲悪である。そして、
良識ある優しい人たちは憤慨する。
「は?ポテサラ作るの大変なんだけど!」
可哀想だと同情する。
「子育てで毎日大変なのに酷いよね」
当該Tweetした人は世界中の母親、女性の、心強い味方、ヒーローとなる。
「あなたは世の母の鏡。ありがとう」
はい、めでたし、めでたし🤲
……って、ちょっと待って。
1番初めに高齢男性を悪者にしたの、誰ですか?
そう、答えはもちろん、このTweetを投稿した女性である!笑
……🥗
※これはあくまでも邪推です※
例えば高齢男性のセリフ
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」が、近くに居た幼児連れの女性へ向けられたものではなく、別の場所にいる自分の妻に放たれた言葉だったとしたらどうしましょう。
高齢男性にポテサラ好きの子供がいるのか。ええ、帰省してきた息子か娘が、子供の頃からポテサラ好きで、食べたいと言ったかもしれない。しかし、妻は面倒だからと出来合いの惣菜ですませようとする。男性は惣菜コーナーのポテサラを眺めながら、ひとり愚痴をこぼした。
はたまた、どこかに居る高齢男性の息子の嫁、もしくは実娘が、孫に食べさせるポテサラを惣菜コーナーで買ったため、この発言をした。
そう。実際は誰に向けられた言葉かわからないのである。爺さんが独り言つぶやいたら、たまたま横にポテサラ持ってる子連れ女性がいただけかもしれない。
さらに詰めると、「ポテトサラダくらい」という言葉には、確かに「ポテサラくらい簡単に作れるだろう」という印象を受ける。「母親なら」という前置きも、「母親なら当たり前に手作りしろ」という傲慢な押し付けが伺える。ただし、それは、
わたし達がそう受け取れば、の話である笑
この高齢男性が主観の塊で発言した内容を、わたし達も主観の塊で受け取っているのである。しかも、Tweetした女性の主観フィルターも通してあるから、ダブルフィルターである笑
……👴
つづいては、幼児連れの女性。
連れてる幼児だけど、その女性が産んだ子供ですか?甥っ子、姪っ子、他所の子の可能性は?母親でもなんでもなく、未婚の可能性すらある。
高齢男性が発言した後、女性は惣菜パックを持ったまま俯いてたけど、それ、ショックを受けて俯いてたんでしょうか?本当は爺さんのセリフなんかひとっつも耳に入ってなくて、このポテサラいくらかしら?具は何が入ってる?賞味期限は?と、バーコードシールを凝視してただけかもしれない。
百歩譲って、爺さんの嫌味が聞こえて俯いてたとする。しかし、その女性が傷ついて俯いていたという確かな証拠はあるのでしょうか?俯きながら
「死に損ないのクソ老害乙www」
と内心笑っていた可能性は……?笑
で、笑ってるところに同じような子連れの女が割り込んできて、ポテサラ2個もってったけど、なにあれ?みたいな笑
……🤱
そして、当該Tweetを投稿した女性。
この人は、今しがた目にした光景を、自身の主観フィルターを通して認識した。単純である。老害と、老害に嫌味を言われた可哀想な子連れの母親。勝手にそう解釈した。百歩譲って、この女性の主観通りの出来事だったとする。
爺さんは実際に、幼児連れ女性に対して嫌味を言った。言われた女性はショックで俯いた。
《Tweet主の心理を邪推》
子育ての大変さ、子育てしながら家事をこなす大変さ、よくわかるよ。わたし達こんなに頑張ってるのに、惣菜買ったくらいで見ず知らずの人に嫌味言われるなんてあんまりだよね。しかも、男なんかになにがわかるのよ。ああ、同じ母親として胸が痛い。大丈夫ですよ、あなたは何も悪くないです。どうかこの想いよ届け。
Tweet主は彼女の目の前でポテサラ2パックを購入。本当は1パックで十分だけど、2パック買うことで励まし効果もバイキルトになるはず。とてもとても、とてもドラマチックである。
彼女の主観による筋書きどおりであれば、の話だけど笑
……🌷
この物語の登場人物は5人。
ここからTweet主とその娘、女性が連れてる幼児を省く。すると残りは、高齢男性と幼児連れ女性の、たった2人になる。
Tweet主は2人の言動を主観フィルターで脚色し、思い込みと決めつけで男性を加害者、女性を被害者にする。そして突然、本当に突然、みんなが幼児連れの女性を自分に置き換えるのである。その時点で、登場人物はこうなる。
Tweet主と高齢男性の2人
このTweetを見てるあなたと高齢男性の2人
高齢男性と一対一!
わたし達には共通点がいっぱいある。子連れの母親、女性、同じ人間、同じ価値観、突然誰かに嫌味を言わるかもしれない善良な人、などなど。みんな自分に置き換えて受け取れるのである。そして、自分が言われたわけでもないのに、爺さんのセリフに憤慨したり、何かしらの心理的リアクションを取ってしまう。当該Tweetが無意識に書かれた文章なら、天才的な思考の誘導である笑
……🌻
つまるところ、
高齢男性の言葉に傷ついたのは誰?Tweet主です。
高齢男性を悪者にしたいのは誰?Tweet主です。
大丈夫ですよ、と言ってもらいたいのは誰?Tweet主です。
幼児連れの女性は?関係ないです!笑
ホントはTweet主以外みんな関係ない……w
……🍵
長々と書きましたが、お分かりいただけたでしょうか。わたし達が日頃、どれだけ主観フィルターで物事を認識しているかを笑
もちろんわたしは、このポテサラTweetが嘘だったとは思わない。書いた本人の中では、起こったのも事実だし、受けた印象も間違いない。そして、やや押し付けがましさはあるものの、心の優しい人である。優しいからこそ、高齢男性を許せなかったんだと思う。
そして、自身の主観フィルターを通して脚色された出来事を、ネットの海に投げ込んだ。すると、主観で物事を見てる自覚の無い人達は、この人のフィルター越しの出来事をそのままダイレクトに受け取り、そこに更に自分の主観フィルターを重ねがけし、ついにはポテサラ論争に発展したのである……笑
これをスピリチュアルの世界では
「エゴによるジャッジ」と呼ぶ
このエゴによる善悪のジャッジこそが、我々人類がいつまで経ってもアセンションできない大きな原因とされている。
次回その③「いい加減想念とかそういう話するw」に続く🤩笑