前回のつづき。
今回はパテさんのライブ配信動画内での話。
あるとき、チャンネル登録者数数十万人の大手Youtuberが、パテさんのファンであると公言。自身の動画内でパテさんのことを何度か紹介してくれたらしい。
もちろん嬉しいにきまってる。
お礼にパテさんは「紅梅くらげ」という、最強の白飯のお供を贈ったんだそう。(めっちゃウマそう笑)
で、特にコトの詳細を説明せず(する必要もない)、大手Youtuber宛へ小包を贈った画像だけtwitterにアップしていたんですね。
そしたら、それを見た視聴者が、
「パテモソそんなことする奴やったんか。大手Youtuberに媚びてダサい」
みたいなことを、twitterかYouTubeのコメントに書いたらしい。
紅梅くらげを贈った経緯に関しては、さらに詳細があるんだけど、そこまで書く必要もないので本題にいく🤗
――本題――
パテさんはライブ配信で「ことの経緯も知らん、俺のこともなんも知らんやつが、なに言うとんじゃい!」な感じで、相手のことをボロクソに言ってたんだけど笑
わたしはそれを聞きながら、パテさんにダサいと言った奴の気持ちが痛いほどわかった。
きっとそれは、
「最終手段として転売屋からPS5を買う可能性がある」
とパテさんが発言したとき、わたしが感じた【なんとなく嫌だな】という気持ちのでっかいバージョンだったんだろう。
心の弱さゆえに精神の抑制がきかず、たとえ相手が不快に感じたとしても、言葉にして伝えなければ自分が傷ついてしまう。
大好きな想像上の理想のパテさんが、ガラガラと音を立てて崩壊していくなか、「大手に媚びてダサい」という必死の叫びをあげたに違いない。
傷つくことへの恐れと不安が、攻撃性に転じてしまう。
自分が傷つくくらいなら、相手を傷つけたほうがマシ。
奴の実際の心理は、言葉にするとこう。
「ボクの大好きなパテさんはそんな人じゃない!お願いだからそういうこと言ったりやったりしないで!」
あえて甘えた幼児性のある言葉にしてみた。
そもそも、本当にパテさんという人間を知っていれば(一度も会ったことないわたしが言うのもなんだけど笑)、媚てるなんて発想は決してでないはず。
パテさんはただただ、相手への感謝を義理堅く形にして表してくれる人に過ぎない。それが、物質であるか、言葉であるかの違いに、なんの意味がある?
――らしさは究極の勘違い――
わたし達はみんな、つねに人に期待してる。
どんなに口で期待しないと言っても、してる。
だから落胆するし、失望もする。
本当になにも期待しない人は、
人に裏切られたと感じることはない。
残念な気持ちにもならない。
ダメだこりゃもない。
あるがままを受け入れられる。
だけど、そんな人いないよね。
40年以上生きても見たことがない。
みんないろんな不満を口にする。
自分に対する不満も同じ。
理想の自分と現実の自分が乖離すればするほど落胆するし、傷つく。
でも、らしさが単なる幻想、思い込みであることに気づくことができたら、もっと大きな心で人と接することができるんじゃないだろうか。
どんな手段をこうじてもPS5を手に入れるという意志は、いかにもパテさんらしい気がする。それが転売屋からの購入だろうと、正規購入だろうと、パテさんという人間のなにが変化するわけでもない。
たとえ奴の言うとおり大手Youtuberに媚びたとしても、それでもパテさんはパテさんだ。なにも変わらない。
わたしもそう。
誰かが想像上で「銀次はこういう人間だ」と勝手に決めつけても、わたしはその人の想像する人間じゃない。ましてや、その人の理想であるはずがない。
ただ、これだけ言いたい。
スピリチュアルの世界では、自分の放った波動がそのまま自分に返ってくるという。
人に失望し、落胆し続ける人は、
必ず人から同じ扱いを受ける。
その負のスパイラルから抜けだすか否かは、
あなたの意識次第である。
最後にわたしから、ダサ発言の彼に向けて。
「安心すべし。大手Youtuberに媚ても、アンチに暴言吐きまくっても、君の大好きなパテさんは、パテさんのままなのだから」
おあとがよろしいようで笑