銀次のブログ

日々の何気ない思考を書き連ねる

世界が本当に二極化してきた可能性

スピ界隈では何年も前から「世界は二極化する」と言われていた。スピ的覚醒を終えた人と、スピ的真理に気づかないまま眠ったように生きる人との二極化で、経済格差というよりは、精神性における格差の話だとわたしは解釈していた。

もっと古いところでは「ヒトラーの究極予言」の中にも二極化は出てくる。こちらは80年以上前の話とは思えないほどの説得力と、オカルト心を最高にくすぐる内容を兼ね備えているので、是非とも紹介したい。(と言っても、全編はとんでもない長さなので、要点のみをコピペします笑)

 

――以下、引用――

ヒトラーの予言 ─ 2039年の未来図について

  • 2つの極はますます進む。1989年以降、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ。1989年以後、人類には宇宙から、かつてないカタストロフィ(大破局)が近づくのだ。

 

  • 人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も2つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大旱魃(かんばつ)が代わる代わる地球を襲うだろう。だからその中から『超人(ユーベルメンシュ)』が現われる。もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる。つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する21世紀の世界である。

 

  • しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これを話している100年後のことだ。それを告げるためにこそ、私は今日を選んで諸君を招いたのだ。今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月、地球からいなくなっているのだ。

 

  • それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。

 

  • 神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。

 

  • ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

 

  • こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。

――引用終了――

引用元

どの道長くなる運命!笑

否、日々の暮らしの中で漠然と感じる、思想も、生き方も、価値観も、すべてが何者かによってコントロールされているという違和感の正体を、ヒトラーが解説してくれている。しかも、今の人類がいなくなっているとされる2039年は、ケネディ大統領暗殺事件の全貌が記されたウォーレン報告書が完全公開される年でもある!笑

 

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ということで、来年死ぬかもしれないわたしにとって、今から14年後の地球人類がどうなってるかなんて考えるだけ無駄な気もするけど、ひとつだけ言えることがある。それは――

日々の暮らしの中で、わたし達の行動原理に少しの違和感も感じないのなら、それこそが何者かによって巧妙にマインドコントロールされている証だということ。

コロナ禍になって、ほぼ100%の人が屋外でもマスクをつけている。真夏の太陽カンカン照りでもおかまいなし。むしろ、人通りの少ない道でさえ、つけてないと怪訝な顔をされることすらある。

コロナ禍になって、自粛生活を強いられ、ストレスを溜め込む人がいる。なぜかと訊くと、外に出られない、友達と遊べない、旅行もできないと言う。わたしは逆に不思議に思う。あなたにとって人生における幸福とは、たったそれだけのことなんですか?と。

そうかと思えば、コロナ禍になってから、自粛を強いられる生活の中でも、すぐに新しい趣味や遊びを見つける人もいる。不安や恐怖に嘆くより、できることの中から自分なりの幸福を発見できる人たち。

 

これこそが、わたしには二極化に見える。

 

ヒトラーの予言した二極化はもっと複雑だけど、スピ的な二極化はコロナ禍で顕著になったと思う。そして、こんな卑怯な話は好きじゃないんだけど、やはり、インチキ含めたすべてのスピ人間の言うとおり、2つの極のどちらに立つかは、わたし達の日々の思考で決定づけられているように思う。

恐れを抱けば、その瞬間恐怖の跋扈する世界が構築され、大丈夫、なんとかなる。そう思うなら、わたし達にとって明るい未来が約束された世界が瞬時にできあがる。

今、このブログを書きながらふと窓の外を眺めたら、眩しい太陽光がビルに反射し、空には澄み渡る碧と、優雅に流れる雲が見える。地球に生命が誕生する確率は天文学的な数字で、まさに奇跡と呼ぶほかないらしい。

世界が美しい。たったそれだけのことで、不思議と感謝の気持ちが溢れてくる。コロナ禍なんて、わたしには存在しないも同然に近い。なにがあっても、この世界は美しく、やさしさに満ちている。わたしはこの先も、そういう世界で生きていく所存なのだ🥺笑

 

おあとがよろしいようでw